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telier Fauni | アトリエ ファウニ
Moomin | ムーミン

Atelier Fauni | アトリエ ファウニ
Moomin | ムーミン

Production Period : 1955-1971

「幻のムーミン人形」。そんなふうに呼ばれるフィンランドのアトリエ・ファウニ製作のムーミン人形たち。幻の度合いでは、アラビアのヴィンテージフィギュアのさらに上をいくといってもいいでしょう。存在は知っていても、実物を見たことはないという方も多いのでは? わたし、ライター萩原が初めてアトリエ・ファウニのムーミン人形を実際に目にしたのは20年以上前、フィンランドの蚤の市……ではなく、中野ブロードウェイという昭和テイスト満載のショッピングセンターの一角でした。多趣味なフォトグラファーの友人が「はげちょろびんなのに妙に味のあるムーミン人形を見つけたんだよ」と知らせてくれて、なんだかよくわからないまま見に行ってみると、漫画専門古書店「まんだらけ」などサブカル系の雑多なショップが軒を連ねるなか、怪獣のソフビや昭和アイドルグッズなどがひしめくガラスケースのなかに、不思議な風合いの白いムーミン人形がひっそりと立っていたのでした。原作者のトーベ・ヤンソンによると、ムーミントロールの大きさは電話帳ぐらいとのことですから、アトリエ・ファウニのムーミン人形はそれより少し小さいのですが、その佇まいはまるでホンモノの生きたムーミントロールのよう。革張りの顔に羊毛のボディ、頼りなげな細い手足、光を受けて角度によって表情を変えるガラス玉の目。ムーミン童話の原画にそっくりというわけでもないのに、ムーミンの魂を感じさせるというか、圧倒的な存在感がありました。北欧系ヴィンテージショップではなく、アニメや特撮系のコレクターズアイテムを扱う店のなかで、あきらかにそれは異質で、店員も詳細を知らず、コンディションも完璧ではなくてところどころ毛が抜けて色も少し変わってしまっているにもかかわらず、なかなかに強気な数万円という、うかつには手の出せないお値段。わたしも買うことはできなかったのですが、その最初の出会いは、今も強く記憶に残っています。


そのムーミン人形が、1950〜70年代にアトリエ・ファウニというフィンランドの工房で作られたものだと知ったのは、それからもっと後のこと。そして、その後、フィンランドのヴィンテージショップにも足を運ぶようになったけれど、実物を目にする機会はほとんどなく、飛びつけるような価格だったこともありません。そんな幻のファウニムーミン人形に関する情報は今でもあまり多くはないのですが、わかっているかぎりのことをお伝えしたいと思います。

アトリエ・ファウニ(Atelier Fauni) は1952年、ヘルシンキ郊外のヤルヴェンパーという町で誕生しました。フィンランド人テキスタイルアーティストのヘレナ・クウシコスキ(Helena Kuuskoski)という女性が、ハンドメイドで人形作りを始めたのが創業のきっかけ。夫のマルッティ(Martti)は役者で、収入が不安定だったため、生活を支えるためだったといわれています。ヘレナが当初手がけていたのはオリジナルのトロール人形。北欧の民話に出てくるようなずんぐりしたけむくじゃらのトロール、鳥や動物のような姿のもの、きのこをモチーフにしたキャラクターなど、さまざまな種類の人形があったようです。お手製の人形はヘレナの地元であるナーンタリの市場で売られていました。ナーンタリといえば、大統領の別荘やムーミンのテーマパーク「ムーミンワールド」があることで知られる南西部のリゾート地。フィンランドでは夏の間、町の中心部で屋外市場が開かれ、野菜やフルーツ、魚、花、工芸品など、さまざまなものが並びます。手編みの帽子や手袋、白樺のカゴなどの手作りの品を売る光景を見たことがある方も多いでしょう。おそらくはアトリエ・ファウニのトーロル人形も最初はそんなふうに売られていたのだと思われます。

一方、ムーミンの歴史について簡単におさらいしておくと、最初のムーミン童話『小さなトロールと大きな洪水』が発表されたのが1945年。1948年発売の第3作『たのしいムーミン一家』が世界的な人気を獲得し、1954年に当時世界最大級の部数を誇っていたイギリスの夕刊紙「イヴニング・ニューズ」でムーミン・コミックスの連載が始まったことから、第一次ムーミンブームが到来。キャラクターグッズも数多く作られるようになり、いちばん最初のアラビア×ムーミン食器のチルドレンセットが発売されました。長くアラビア製と思われていた陶器のミニフィギュアの販売開始も1956年のことです。

詳しい経緯は定かではありませんが、ムーミンの原作者トーベ・ヤンソンがアトリエ・ファウニのひとつひとつ丁寧に手作りされた人形たちをとても気に入り、公式に許諾したといわれています。一説にはアトリエ・ファウニがムーミン人形をつくってしまい、通常なら問題視されるところ、クオリティが非常に高かったためトーベが特別に許可した、なんてこともいわれていましたが、トーベが見たのがファウニオリジナルのトロール人形だったのかムーミン人形だったのか、ムーミンだったとしたらプレゼン用の試作品だったのか販売物だったのか、はっきりしません。いずれにせよ、アトリエ・ファウニは1955年からムーミン人形の作製を開始。フィンランドの老舗デパートとして今も有名なストックマンでの販売が告知されたときには、事前予約のために長い行列ができ、棚に並ぶ前に完売してしまい、長く欠品が続くほどだったとか。1956年には、デンマークの首都コペンハーゲンで開催された北欧首都展覧会で展示されて世界中に紹介された、という記録も残っています。60年代にはいると、トーベの母の祖国であり、トーベ自身もスウェーデン語系フィンランド人で、ムーミン童話もスウェーデン語で書かれているなど、何かと縁の深いスウェーデンでも販売されるようになりました。工房の仕事が軌道に乗るにつれ、ヘレナの夫マルッティも役者から転身し、人形作りを手伝うようになったそうです。

アトリエ・ファウニは、60年代の終わりには週に8万体もの人形(ムーミン以外の製品も含む)をスウェーデンに出荷。最盛期には従業員数も200人以上に増え、100万体の人形を生産して、主に海外に輸出していたといわれています。まだフィンランドが今より豊かではなかった当時、アラビアの陶磁器やマリメッコのファブリックと肩を並べる輸出品のひとつだったことが忍ばれます。

アトリエ・ファウニのフィンランドの工房は1971年に閉鎖され、ムーミン人形の生産もそこで終わりました。現在はアメリカに拠点を移して生産を続けているようですが、もちろんムーミン人形は作られていません。近年では皮革と羊毛ではなく、フェルト素材の小さなマスコット、Tシャツや布製品などもラインナップ。北欧の雰囲気を残しつつ、1969年にアメリカで放送が始まった「セサミストリート」にも似たテイストのトロールたちにはキャラクター設定や背景となるストーリーが用意されています。


アトリエ・ファウニが手がけたムーミン人形は、ムーミントロール、ムーミンパパ、ムーミンママ、スナフキン、リトルミイ、ミムラねえさん、スノークメイデン(スノークのおじょうさん/ノンノン/フローレン)、スニフといったメインキャラクターから、トゥーティッキ(おしゃまさん)、ヘムレンさん、フィリフヨンカ、スティンキー、ミーサ、ロッドユール、ニョロニョロというサブキャラクターまで、実に15種類(11種類という説もありますが、写真を見るかぎり、この15種類が存在すると思われます)。キャラクターにもよりますが、ムーミンたちの顔や手足は天然皮革、髪や体は羊毛、目にはガラスを使用。スナフキンやリトルミイのような顔が人間に近いキャラクターの場合は、木製の顔に目鼻が描きこまれています。すべてが手作りなので、ひとつひとつ、とても表情が豊か。顔つきだけでなく、髪の毛やボディの色、身にまとっている洋服も、同じキャラクターでもさまざまなバージョンが存在します。たとえば、リトルミイは、設定どおりの赤毛だけでなく、金髪、黒髪、青、緑、服も青いワンピースにリボン、緑のフェルト、赤、ボーダーとさまざま。特におもしろいのはヘムレンさんとフィリフヨンカで、ムーミンの物語にはムーミントロールやパパとママ、スナフキンなど唯一無二のキャラクターもいるのですが、ヘムル(ヘムレンは「そのヘムル」という意味)とフィリフヨンカは種族名なので、何人ものヘムレン、フィリフヨンカが登場します。たとえば、『ムーミン谷の彗星』に出てくる昆虫を集めるヘムレンさんと、切手(のちに植物)を集めるヘムレンさんは従兄弟同士。『ムーミンパパの思い出』には女性のヘムレンおばさんが登場しますし、『ムーミン谷の夏まつり』に出てくる公園番やおまわりさんもヘムル族です。ですから、アトリエ・ファウニのヘムレンさんとフィリフヨンカもそれはそれは多種多様。洋服の生地にマリメッコが使われているものも多く、なかには有名な柄もまじっていて、北欧好きなら洋服を見るだけでもテンションが上がることでしょう。

トーベ・ヤンソンは本来は画家で、ムーミンシリーズを小説、絵本、コミックスなどで表現しただけでなく、晩年は大人向けの小説を執筆したほか、立体造形物にも強いこだわりがありました。1976年には、個人的に独自のムーミンハウス模型を作っていたペンッティ・エイストラと、トーベのパートナーでグラフィックアーティストのトゥーリッキ・ピエティラと共に、2 メートルを超えるムーミンハウスを作製。トゥーリッキはさらに、ムーミンのお話に出てくる名場面のジオラマも数多く作りました。情景のなかに置かれたムーミンたちのフィギュアはトゥーリッキによる手作りですが、大がかりなジオラマにモブキャラとして置かれたフィリフヨンカやヘムレン、名前も知られていないような小さな生きものたちのなかにはアトリエ・ファウニの人形が混じっていたと記憶しています。そのムーミンハウスやジオラマは、2017年にタンペレに新しくオープンしたムーミン美術館で見ることができます。

また、トゥーリッキによる立体造形は78年から82年にかけてポーランドで製作・放映されたテレビシリーズのパペットアニメーションにも大きな影響を与えていますが、年順を考えると、大元にはアトリエ・ファウニのムーミン人形の存在があったといっても過言ではないかもしれません。2017年12月現在、日本でも好評公開中の映画『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』をご覧になった方なら、パペットアニメーションとアトリエ・ファウニに共通する空気感をご理解くださることでしょう。


再び個人的な話になりますが、中野ブロードウェイでの最初の出会い以来、わたしが二度目にアトリエ・ファウニのムーミン人形を間近でじっくりと見たのは、ヘルシンキに残るトーべ・ヤンソンのアトリエでした。2007年、当然、トーベはもうこの世にはなく、姪御さんでムーミンキャラクターの著作権を管理するソフィアがアトリエを案内してくれました。光が差し込む大きな窓、高い天井、窓辺や作りつけの棚には本や写真、彫刻家だったトーベの父親の手による彫像、旅行中に集めてきたのであろう石や貝殻など、さまざまなものが飾られており、そのなかに寄り添うようにトゥーティッキとミムラねえさん、リトルミイ、ロッドユール、スニフのアトリエ・ファウニ人形が立っていました。それと同じものかはわかりませんが、トーベとトゥーリッキは旅先にもアトリエ・ファウニの人形を連れていっていたといわれています。軽くて小さく、そして存在感のある人形はふたりの分身のようなものだったのかもしれません。そして、それはいかにトーベがアトリエ・ファウニの人形を気にいっていたかという証でもあるといえるでしょう。

そんなアトリエ・ファウニの人形は限られた期間だけ作られたもので、元々が手作りで希少価値の高いものだったこともあり、コレクターの間ではとても高価な値段がつけられています。天然素材で、子どもが愛玩するアイテムでもあり、良いコンディションのものが残りにくいという事情もあります。当時の接着剤の品質ゆえか、変色やシミがあったり、手足やしっぽ、小物などが失われたものも多く見受けられます。今回販売するものはイタリアで北欧物を販売している会社から出たデッドストックのため、基本未使用で、状態はかなり良好。ふさふさのしっぽの先、ムーミンパパのシルクハットやムーミンママのハンドバッグ、スノークメイデンの足輪、ムーミントロールが手にした小物まで、きっちりと残っているものは本当に貴重で、めったに見ることすらできません。先にも書いたとおり、髪の色や洋服の色柄もさまざまで、これだけの数が一度に販売される機会もまずありませんから、バードなどもそうですが、自分がグッとくる、フィーリングが合うものがあれば、即決が吉です。

text:萩原まみ(ライター)