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2010年2月10日
美しい布とテーブルセッティング

PHOTO:原田 智香子

ちょっとした魔法のような効果

先週末日曜の晩に、日本人の友人が我家に来てくれました。一緒に料理をし、(ローストビーフときのこの煮込みでした)一緒にテーブルセッティングもしました。

古いマリメッコの《カイヴォ》をテーブルに広げました。白地で茶と黒の模様のデザインです。食事するプレートはブラックホワイトのパラティッシ。料理の盛り付けにはすべてホワイトのアラビアのティーマで統一しました。いくつかの濃いブルーのイッタラのキヴィに、ティーライトキャンドルを灯しました。

「お母さん、さっきまでウチはぜんぜん普通だったのに、今はすっごく素敵になったよ。」と、ため息をつく娘のメリ。

美しい布とそれにぴったりの食器でテーブルセットすることは、ちょっとした魔法のような効果があると思うのです。 《日常》が一瞬にして目の前から消え去り、代わりに何かしら目に楽しい《特別な日》的な美しいものや心躍るものが生まれるのです。

布をテーブルクロスに

私はマリメッコの古い布を集めていますが、その布はよくテーブルクロスとして使います。なぜこんなにこの布に惹かれるのか、自分でもよくわかりません。なぜかその大胆な色使いや、時には子供っぽくも感じられる自由奔放な模様に私はどうしても惹かれるのです。

加えて私はアラビアの食器に狂っています。新しい物にも古いものにも。(食器はすでに食器棚に納まりません。) 私にテーブルセッティングの特別な才能があるわけではないけれど、アラビアをマリメッコに併せれば失敗するほうが難しいです。

人によっては頭の中で布と食器を合わせてイメージできる人もいますが、私はダメ。必ずまず布を取り出して敷いてみる、それからどんな食器や小物がそこで映えるか、と試してみるのです。 時にはその料理にはどの布が似合うか、試しに盛り付けてみることさえあります。サラダをガラスのボウルに入れてみて上に置いてみるのです。

最近庭の木々の下でテーブルセッティングを実験してみました。写真で見ていただけますのが私の実験の数々です。

食器と布の色に1色でも共通の色があれば、それがお互いを結びつけます。かっちりしていないストライプや、グラフィック的な大きな図案の布は、ほぼどんな食器も似合うのでセッティングがとても簡単です。特にクロスが黒や白の縞の場合、黒か白(もしくは黒白の)食器を使うと必ずスタイリッシュでエレガントな仕上がりとなります。

ティーマの色を引き立てるには、クロスの中にその一色が含まれていること。KoKo(ココ)シリーズでも同じですし、ムーミンマグでもやはり同様です。もしマグにイエローやグリーンが入っているなら、クロスにもその色が含まれていれば、見栄えが良くなります。

ピンクも、なかなか《おいしい色》です。布と食器の色が上手く組み合えばとても楽しい遊び心いっぱいのセッティングになるでしょう。少なくとも女の子たちは大好きです!

時にはとんでもないものをあわせてみる

いつもは冷静沈着な母である私も、時には何かに反抗したくなります。(反抗するのは楽しいものですから、それをティーンの子供たちの特権にしておくことはありません!)私の中に反抗心が芽生えた時の解消方法はテーブルセッティング。 所謂《センスが良い》といわれるものに殴り込みを入れるように、とんでもないものをあわせてみたりするのです。何でも楽しければ一緒にしてみるのです。

1970年代には勢いのある、それこそサイケデリックともいえるファブリックが作られました。そしてさらにポップカルチャーの強烈な色彩を持った食器がそれらにあわせて作られました。それはオレンジや黄緑、ピンク、加えて何でもあり的な色の世界です。 70年代に撮られた写真には皆同じ雰囲気が漂っています。そこには決まってマイヤ・イソラの布《トゥルッパーニ》があり、アラビアの1970年代の食器《ポップ・シリーズ》があるのです。

マリメッコのマイヤ・イソラはとても激しいライフスタイルを生きた永遠の反逆者でした。彼女は南ヨーロッパや北アフリカをぐるりと旅して回るのが趣味で、しかもそれはヒッチハイクで移動したり、アラブ人のボーイフレンドを連れていたり、といった旅です。マイヤ・イソラは何でもやりたいことをやってしまう人でしたが、それが彼女の布には現れています。そんな途方もないほど元気な布をテーブルに広げれば、その明るさが部屋全体に広がります。

テーブルクロスのお手入れは?

でも、テーブルクロスを毎回使用後に洗い、アイロンをかけたい人はどこにもいません。幸いこの問題には逃げ道があるので、ぜひ利用してください。飾りや小物を使い、シミを隠してしまうのです!

この技は母より受け継ぎました。彼女はおそらく自分の母親から学んだのでしょう。たとえばイッタラのキヴィやマリボウルはテーブルセッティングにとても便利です。花瓶には値段の張るお花など買う必要はありません。いくつかのきれいに伸びた枝で十分です。そして、こういった小物を上手い具合にクロスのシミの上に配置していきます。これでもう小さなシミには誰も気がつきません。

マリメッコの布を洗うときには、思い切り60度の熱い湯で洗います。40度のぬるま湯で洗うと、色が流れ出してしまうのです。アイロンがけも同様、熱くて大丈夫です。少なくとも中温でかけましょう。

テーブルを素敵にみせるマリボウル

マリボウルには長い歴史があります。もともとは1800年代、ドイツ人のガラス職人が移住の際フィンランドに持ち込んだものでした。マリメッコの創始者であるアルミ・ラティアがこのプレスグラスを新たに発掘し、ヌータヤルヴィガラス工場に再生産を要請したのが1960年代でした。 アルミは、モダンな布に透明なグラスを合わせて、楽しくてロマンチックな雰囲気を作り上げる、テーブルセッティングの達人でした。 アルミは、テーブルが素敵に見えるように、そして十分な高さが生まれるようにと一度にとてもたくさんのマリボウルを使うこともありました。

家庭でのセッティングでは1つでも十分でしょう。マリボウルは何を入れてもいいのです。キャンディー、チョコレート、果物でもいいしナッツ類もいい。マリボウルには何を入れてもテーブルを一気にパーティームードにしてしまいます!


Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

ヘルシンキを拠点とした現地でのガイドツアーや様々なサービスを日本人旅行者に提供する会社、My Suomi(マイスオミ)代表取締役。実はフィンランド屈指のアンティークコレクターでもある。フィンランド・ヘルシンキ在住。

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2009年12月10日
子ども達とスケートリンク

PHOTO:原田 智香子

真冬のスケートで遊ぶ子どもたち

フィンランドの長い冬も、今、最も気持ちの良い時期がやってきました。子供たちは清々しい空気の中に飛び出していきます。 気温はマイナス15度、と真冬の気温ですが、そんなことはスケートシューズを履き、リンクに出発する子供たちには全く関係ありません。

フィンランドでは、最近急速にフィギュアスケートへの人気が高まりました。フィンランドのトップクラスのスケーター達は、浅田真央さんのような日本のトップ選手にはまだ敵いません。 でも彼らも頑張っています。フィンランド人選手ラウラ・レピストはこの冬のヨーロッパ選手権で金メダルを獲得しました!

今年の冬は、女の子用のスケートシューズが記録的に売れたそうです。メリと彼女の友達ヴィルマとエレナは、もちろんトレンドを追う女の子達です。 子供にとってうれしいことに、この冬フィンランドは氷も雪も多く、スケートにはぴったりの環境でした。ヘルシンキでも50cm以上の雪が積っています。

スケーター達にとって雪は便利なもので、たとえば転びそうになったら、やわらかそうな雪の山に向かって飛び込みます!それにシューズを履く時、靴に足を入れ靴紐をきつく締めあげる時にも便利です。

男の子と女の子をまとめる一つの方法

スケートリンク上の小さな名手達には少々の氷点下は気にするものでもなく、スケートは激しい運動なので滑っている時にはむしろ汗をかくほどです。 そしてもし寒くなったら、魔法瓶いっぱいの熱々のホットチョコレートで暖を取ります。

ヘンリとアアロの男の子組もリンクにやってきました。 彼らの頭には高橋大輔や他のフィギュアスケート選手の姿は浮かんでいません。フィンランドの男の子たちは皆、生まれながらのアイスホッケー国民。フィンランドは間違いなく、世界ではカナダについで2番目の<アイスホッケー狂国民>と言えます。

リンクに入ると男の子たちは上手にパックを打ち合いながら、信じられないスピードでリンクの端から端を動き回っています。 ピルエットや平行バランスを練習する女の子組は、もう少しでアイスホッケーを練習する男の子組の下敷きになりそうです。

でも、スケートリンク上の男の子と女の子を一同にまとめる事がひとつだけあります。 お母さんの『パンケーキが焼けたわよ!』の一言でスポーツ選手たちは大急ぎで家へ戻り、靴を脱ぐのももどかしく、『パンケーキ?パンケーキって言ったよね!!?』

頭から汗の蒸気を上げお腹をすかせた子供たちの手が、重なったパンケーキの上に勢いよく伸びてきます。 焼きたてのパンケーキを口に放り込んでいる時にはテーブルマナーも忘れているようです。 ジャムで口の周りが黒くなったり赤くなったりしています。 冬ってやっぱり素敵です!


Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

ヘルシンキを拠点とした現地でのガイドツアーや様々なサービスを日本人旅行者に提供する会社、My Suomi(マイスオミ)代表取締役。実はフィンランド屈指のアンティークコレクターでもある。フィンランド・ヘルシンキ在住。

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2009年9月22日
フリーマーケットからの宝物

PHOTO:原田 智香子

ヒエツのフリーマーケット

今年もまたこの時期がやってきました。夏の間に集めた、たくさんの写真と思い出の整理です。昨日はその中からプリントする写真を選び出すのに何時間もかかってしまいました。プリントした写真はクリスマスカードに同封して送り、この暗い季節に、明るい夏の思いでを友人達と分かち合うのです。

何枚も重なった写真を見ながら、特に楽しかった思い出がよみがえりました。マイスオミチームの皆で一緒にフリーマーケットへ行った時のことです。あの日は夏も終わりに近かったけれど、とても暑い日で、突然とヘルシンキで最も有名なフリーマーケット、ヒエタラハティへ行くことにしたのでした。略してヒエツ。ヒエツは夏だけ開かれるマーケットでトラム6番で行くことが出来ます。

私は回復の見込みのないヴィンテージ・デザインの収集家です。そんな私ですが、私たちのチームの中ではそのことで特に問題はなさそうです。なぜかというと、他の皆も多かれ少なかれ数十年前のフィンランドデザインを集めているからです。(私ほどの規模ではありませんが・・・)

今年の夏はまた再び、ヒエツのフリーマーケットにはとても良い宝物が出ました。原因はわからないのですが、ある夏には目ぼしい物はほとんどなかったり、反対に行く度に何かしら見つける、豊作の年もあるのです。状況に波があるわけですが、その中で今年の夏は、多分過去最高の夏だったと思います。

マリメッコのヴィンテージファブリック探し

うちのチームのメンバー全員、古いマリメッコの服や布には目がありません。マーケットに布の山があると飛びつき、ワンピースやスカーフ、チュニック、Tシャツ、インテリアファブリックなどを見つけようと発掘作業に入ります。サミは、カーテンやテーブルクロスには興味ないようですが、それでもマリメッコの古いヨカポイカ・シャツを着るのは好きなようです。このシャツは1960年代か70年代ころのヴィンテージ物が最も色彩豊かで素晴らしいと思います。古いシャツは生地が厚めで丈夫なので、古いにもかかわらず今の新しい服よりも長持ちするかもしれません。

私のマリメッコのヴィンテージ・ファブリックへの思い入れはかなり強く、もしマーケットのテーブルに古い布を見つけたなら、私は1枚1枚チェックし、売り手にマリメッコはあるか?枕カバーでもいいから、と必ず声をかけます。 とっても古いものも、すっかりヨレヨレで色も褪せてしまった服でも、どれも私には魅力的です。誰かが自分で縫った仕立ての悪い物も、すっかり解いてしまえばちょうど欲しかったマリ布のはぎれになります。洗ってアイロンをかければ、そこからまた何でも作れます!

この夏のヒエツでの最高の掘り出し物は、マイヤ・イソラがデザインした、《ムイヤ》で作ったブラウンのワンピースです。これはその後、うちのヨシコの誕生日にうやうやしくプレゼントされました。ヨシコには内緒ですが、実はたった20ユーロ。古いロマンチックなワンピースは彼女にとてもよく似合いました。ビンテージの服は、新品の服からは決して感じることの出来ない、何かしら特別な感覚を生み出すのです

本命はやっぱりアラビアのヴィンテージ

私たちがマーケットで最も意欲を燃やして探すのは、やはりアラビアの古い食器でしょう。果物の絵の付いた器のポモナ、ステンシルで絵をつけた古いコーヒーカップ、エステリ・トムラの食器、ホーローのコーヒーポットやケトル。それにライヤ・ウオシッキネンのとても珍しいコーヒーカップも素敵です。

ヨシコが見つけたのは古い黄色い牛の絵の付いた水差し。アクセリはホーローの野菜の絵の付いた入れ物、私はカイ・フランクの古い蓋物、キルタの器を見つけました。

マーケットで最も良い売り手は多くの場合相続人代表者で、彼らは両親や祖父母の遺した家庭用品を売っています。お年寄りは物を大切に扱ってきているので、そういった人たちは大抵とても良い物を持っています。この私たちチームが皆で繰り出した日にも、一つ相続人の出すテーブルがありました。ここにはたくさんの素晴らしい食器や家庭用品に加えて、古く魅力的な料理の本がたくさんありました。 私がこの夏マーケットで買ったものは、例えば古くズッシリとした鋳鉄の肉挽き機、飾りの付いた銅のケーキ型、100年以上も古いピパルカックの型などです。この古い道具を使い、古いレシピで料理をすれば、マーケット広場からタイムトラベルへと出発です!お金はほとんどかかりません!

マーケット広場では、品物の値段は様々です。こちらの人はトムラのコーヒーカップを10ユーロで、向こうの人は30ユーロで売っているかもしれません!つまり、値切ること、比較することが必要です。でも、もし長年欲しかったものをやっと見つけた時には、即座に手に取り、その場で買ってしまうことをお勧めします。マーケット広場では昔ながらの法則が今でも通用しています。 《はじめに売り子の手に現金を持たせた人が勝ち!》です。


Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

ヘルシンキを拠点とした現地でのガイドツアーや様々なサービスを日本人旅行者に提供する会社、My Suomi(マイスオミ)代表取締役。実はフィンランド屈指のアンティークコレクターでもある。フィンランド・ヘルシンキ在住。

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これは、私の母インケリが愛する、とても古いレシピです。 材料は2つに分け小さめの型を使えば小ぶりのパイが2つ出来ます。1つは自分で、もう1つはお友達へのプレゼントにしてもいいですね。インケリのパイはこのままでもおいしいですが、もし贅沢感を出したい時には、バニラアイスクリームやバニラソースと一緒にいただくといいでしょう。

P.S. このレシピはリンゴ以外の他の果物にも応用できます。もし北欧のルバーブが入手できるのでしたら、リンゴの代わりに良いですし、チェリー・ジャムなど、甘く酸っぱいベリーや果物がピッタリです。

2009年8月22日
子供たちの夏

PHOTO:原田 智香子

ライフ-スキルを学ぶ 長い夏休み

フィンランドでは子供たちにはすばらしく長い夏休みがあります。学校は5月の末から休みに入り次に学校へ行くのは8月の中旬です。2ヵ月半自由の身になるのです。

でも『自由の身』も、何もすることがなくてとっても長いと退屈です。ですから大抵子供の夏休みは色々様々な講習会や夏季学校でスケジュールはいっぱいです。最も人気があるのは自然の中でいろいろな活動をするボーイスカウトのキャンプや運動をするキャンプ、たとえば乗馬キャンプ等です。

子供のサマーキャンプや講習会は学校の授業とはまったく隔離されていて、ここでは学校で学ぶ事とは別種のライフ-スキルを子供たちに教えます。キャンプでは親の支えなしで同年代の子供たちと一緒に協調、共同してやっていかなくてはなりませんし、そのようにして自立心を養います。多くのキャンプではとってもたくさん仕事もして、我慢強さや忍耐力を学びます。いったい自分はどれくらい仕事ができるのか試してみるのです。

講習会の内容は非常に様々です。たとえば息子のヘンリはちょうど今、子供のための建築学校アルッキの合宿に参加中です。この合宿では朝から晩まで森の真ん中で小屋作りに励みます。小さなナイフを振るい、7歳から12歳までの男の子たちが高い木の上に小屋や橋や要塞を作っていくのです。

母親、父親は合宿も最終日になり、恐ろしく高いところに造られた装置がすべて完成しなければここには入れてもらえません。講習会の終わり、お母さん達はかわいそうなことに7メートルもある高い木の先っぽにある要塞まで登ることを命じられます。断れば息子ががっかりしてしまいます。ハイヒールを脱ぎ捨て、もう登るしかありません!

裂き織り教室

おばあちゃんは娘のメリを友達と一緒に4日間の子供のための織物教室へ入るように勧めました。去年も参加した講習会です。実はその時私は、8歳の子供たちが大きな機で毎日6時間、7時間も機が織れるかな、と半信半疑でした。(何しろ家ではたった15分の食器洗いや掃除機かけが、果てしなく長い仕事に感じるらしいので)結局私の疑いは無駄に終わりました。小さな女の子たちは二人で競争しながら、とても楽しんで一日に何時間も機を織り、素敵な長い長い布を織り上げました。

去年メリは自分のために夏のバッグと白いウールのマフラー、それから我が家のために麻のクリスマス用のテーブルセンターを織ってくれました。メリは今年はもっと難しいものに挑戦したい、と言い、マットを織ることにしました。おばあちゃんや母親が家に織ったマットと同じように、本物のマットを自分も織る、ということがメリにとってワクワクする事だったようです。

フィンランドでは、100年にも及ぶとても長い伝統がある裂き織りのマット。一昔前、この国は貧しかったので、すべての素材がとても大切でした。すっかり使い古した衣服や布も最後まで使い果たそう、というわけで着古したシャツ、ズボン、カーテンやシーツをすべて細く裂き、それを美しいマットに織り上げました。こういったマットは今現在でもそれぞれのフィンランド人の家庭に必ずあります。

子供のための織物教室はとても簡単に開くことができます。ほとんどすべての街の近郊に市立やその他団体の織物センターがあるからです。ここには常に指導者がいて機で何かを織りたい人たちの指導にあたります。糸代だけは自己負担です。織物は、機を使って自分の夢をかなえることができるので、フィンランドでは非常に人気のある趣味ですし、大人だけでなくもちろん子供にも人気があります。

近頃の子供たちも自分の好きな色でマットの横糸を選びます。今の流行は、ぼろぼろのジーンズを細く裂き、横糸にすることです。私もジーンズでマットを織った経験があります。あの青いデニム色はとってもきれいですね。特にピンクや白を合わせて縞にすると、とても美しいと思います。最近は、メリヤスを工場で細くカットし紐状にしたものが、マットの横糸用として売っているので、昔のように色使いに頭を悩ませる必要はなくなりました。

次に小さな女の子たちが大好きな色はもちろんピンク色。メリと彼女のいとこのユーリアのマットもやっぱりピンク色に出来上がりました。それに、一緒に織物教室に参加したローサのマットもやっぱりピンク。(ローサという名前自体、フィンランド語で桃色を意味しています。それに金髪のローサの服は全身ピンク尽くめでしたっけ…)

織物教室の後は、あちらこちらのお宅の床にはピンク色のマットが敷かれ、来客たちの賞賛を浴びることでしょう。この娘が大きくなり、いつの日か親元を離れるときには、この自分で織ったマットを持って出て行くのだな、と親たちはわかっています。その日のイメージが脳裏をかすむと、母として胸がキュッとします。娘はそんな親の気持ちは知らず、このマットにはしゃいでいます。夏休みは、子供たちの大人になる夢が、大きな一歩で前進するときです。

夏という時期には、子供たちが家を出て行ったら私は何をすべきなのか、と母として深く考えざるを得ません。もしかしてその時は、私が近所の織物教室に参加し、ジーンズ・マットを一つ二つ織る番かも知れません。本当は今すぐにでも織りたいのですよ。でも今は時間がありません!


Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

ヘルシンキを拠点とした現地でのガイドツアーや様々なサービスを日本人旅行者に提供する会社、My Suomi(マイスオミ)代表取締役。実はフィンランド屈指のアンティークコレクターでもある。フィンランド・ヘルシンキ在住。

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フィンランドのお母さんたちは、子供たちのためにとても頻繁にパンを焼きます。いろいろな講習会や合宿などに参加する時に、お弁当として持たせるのにも便利なものだからです。にんじんパンはその中でも特に人気のある一品。理由は、子供にとっては《甘くておいしい》し、母親にとっては《ヘルシー》なパンだからです。パンは小さく丸めてロールパンにしたり、長細い形に焼いたりします。焼きあがったパンは半分に切り込みをいれ、間にバターやフレッシュチーズを塗り、ソフトな味のチーズやスライスしたトマト、きゅうりをはさみます。ハムをはさんでもとてもおいしいですよ。

2009年5月20日
私の愛するヴィンテージ・ファブリック

PHOTO:原田 智香子

探し求めた、マリメッコ前身のファブリック

一週間前に我が家に新顔がやってきました。それは郵便屋さんが届けてくれた布。私がずっと探し続けていた布なんです。小包を開けた時の私の気持ち、わかっていただけるでしょうか。どんなに嬉しかった事か。その布はマイヤ・イソラが1950年代にデザインした≪PARIISIN PORTIT(パリの門)≫という3メートル程の布です。ヤッター!

布は聞いていたよりもずっと良い状態でした。カーテンとして使われていたということで、わずかに色は褪せていますが黄ばんではいません。私もこれを寝室のカーテンにするつもりです。そうすれば朝はじめに目に入るのはこの布、そして一日の最後に目にするにもこの布、というわけです。

このプリントPARIISIN PORTITは若い芸術家であったマイヤ・イソラが、マリメッコの創設者、アルミ・ラティアにデザインした物の一つです。1940年代、50年代の初めのことで、まだマリメッコの名前がなかった頃です。その美しさ、またその中にいっぱい詰まったフィンランドのデザインの歴史にいまさらながら驚きます! デザインのテーマは、その少し前までマイヤ・イソラが芸術を学んでいたパリから来ています。ノスタルジーですね!

布の端には≪Maija Isola Pariisin Portit Printex≫と書かれています。Marimekko 社の前身は名前をPrintex(プリンテックス)といいました。これです! 私たち収集家は正にこの文字を古い布の端っこから見つけようと必死なのです。もう一つ収集家の憧れの的はMarikangas や Maritextil というものです。Printexの後、Marimekko になる前のマリメッコの布にプリントされた社名です。

時代を彩るデザイナーたち

マリメッコはけしてフィンランドの唯一のテキスタイルデザイン会社であったわけではありませんし、マイヤ・イソラはマリメッコのスタイルを築き上げることに最も貢献していますが、彼女が唯一のデザイナーだったわけでもありません。マリメッコのデザイナーとして忘れてはならないのは、他に脇坂克二さん、石本藤雄さんなどがいらっしゃいます。石本さんは200以上のデザインを生んでいます。

私は脇坂さんのファンの一人です。彼の70年代のデザインKumisevaは最近再生産されましたね。この布には教会の塔がデザイン化され表現されていますが、これを見ると私はヴィンセント・ヴァン・ゴッホを思い出します。可愛らしいおもちゃの車が行ったり来たりしている子供用の布をご存知ですか?これも脇坂さんのデザインです。

1950年代、60年代のフィンランドにおけるテキスタイルデザインは、その範囲がとても広くそして非常に色彩の濃い時代でした。例えばヨーロッパを代表するフィンランド生まれのテキスタイルデザイナー、レーナ・レヴェル(Lena Rewell)の名前を覚えている人は、フィンランドでも少なくなりましたが、彼女も信じられないくらい素敵で、モダンな布をデザインしたデザイナーです。

マリメッコの強烈なライバル

当時、マリメッコの最大の強敵はメツソヴァーラでした。テキスタイル・デザイナー、マルヤッタ・メツソヴァーラの会社です。当時のことはよく覚えています。メツソヴァーラのショップは、ヘルシンキのエスプラナディ通りのマリメッコやアラビア・イッタラの並びにありました。

マルヤッタ・メツソヴァーラの布は、時にはマイヤ・イソラよりもっと大胆で、お花ももっと大きかったです。スウェーデンでメツソヴァーラのKameliaのカバーリングセット、2セットを見つけた時には、あまりのうれしさに自分が壊れるかと思いました。今は他のシーツでは絶対に寝ません!巨大なブラウンの花は、私に70年代の強烈な色や大胆なスタイルを思い出させます。こんなシーツにくるまれていると、すごく大胆な夢も見られそうです。

もしマルヤッタ・メツソヴァーラの回顧展があったとしたら、きっと多くの人は空いた口がふさがらないのでは、と思います。彼女は物凄く豪快で、直感で仕事をするデザイナーでした。ぼんやりしたタイプの人にはショックが強すぎるかもしれません。

パッチワークベッドカバープロジェクト!

最近、我が家を占領してしまうような大きなプロジェクトをはじめました。突然ですが、私はマリメッコの古い布を使い、家族全員にパッチワークのベッドカバーを作ろうと思い立ったのです。

娘のメリには赤系と白系の色合いの布、たとえば古い赤いUnikkoやLokkiで作りたいと思います。私たち夫婦には2.5mの幅があるカバーで、茶色やみどり、黒を基調に白系も加えて。(考えているのはマイヤ・イソラのKaivoやMuija、Kakiなど。他に石本さんのKorentoも入れたいです。)

ヘンリのベッドカバーが一番難しいところです。彼には青、グレー、みどりの色味のカバーをマリメッコのJokapoikaシャツの布で作ろうと思います。私はすでに蚤の市で古くて状態の悪いシャツを買い集めました。どれも洗いざらしになっていて、眼にも眩しいような美しい色合わせもちょうど良い具合に落ち着いた色見になっています。それらのシャツを私はすべて、小さな縫い目まで解き、洗い、アイロンをかけ、そして大きな四角にカットしました。

今のところ使ったシャツは20枚ほどですが、まだまだ買い集めています!子供に言わせると、シャツの縫い目を果てもなく解き続けている母親はちょっと変、らしいですが私は全くかまいません。

いろいろな異なる色合いの布をレイアウトし、大きな表面にするのはなかなか難しい部分です。同じような色を並べるのは簡単ですが、それでは出来上がりはメリハリのない、つまらないものになってしまいます。大きな面には驚きや、何か目を見張るような色の組み合わせが必要になります。そういうものの創造にはやはりアーティストやプロのデザイナーの力が必要になります。

ヴィンテージ・ファブリックの魔法

私はマイスオミ・チームの一員で、経験のあるテキスタイルアーティストでもあるみどりを助っ人に呼びました。今の時代の息吹を感じる、新しいプリントデザインを生んでいるみどりさえも、ここ数十年のヴィンテージ・ファブリックの魅力には簡単に引き込まれてしまいました。彼女は一瞬にしてJokapoikaシャツのはぎれのレイアウトに夢中になり全体をデザインし始めます。まるで古い布には魔法があるみたいに・・・。

この前みどりが我が家に来た時にも、キッチンのドアにかけてあった古いKaivoを見て、「古い布って何故新しい物よりこんなに美しいのかしら?」って言ってたっけ。

私はフィンランドの古いヴィンテージ・ファブリックを集めてはいますが、それでも新しいテキスタイルデザインも大好きだし、新作のマリメッコも買います。我が家には50年も古いテキスタイルから最新の布までありますし、古いガラスや食器と一緒に新しいものも使います。その結果生まれる時代のレイヤーは、それぞれの物の美しさを2倍に引き立てます。

異なる美しさのレイヤーが作り出す新たな美しさに、私は新鮮さを感じるし、インテリアをもっと興味深くすると思います。古いものと新しいものが仲良く並んでいると、なんとなく人間の自分も年をとっていいし、自分のままでいていいのだな、と思えてくるのです。子供たちも、きっとこの美しさは彼らが生まれる前からあったのだということをわかってくれると思います。


Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

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ベリーキーッセリはパズルのようなものと考えてください。 始めにジュースを選び、それを片栗粉でとろみをつけ、最後にベリーを加えます。その組み合わせでいろいろなものが出来ます。クロスグリやアカスグリのジュースをベースに作ると味に酷が出ますが、出来上がりは黒っぽくなります。りんごジュースはさわやかな味に仕上がりますし、ベリーがきれいに見えます。キーッセリに使うベリーはお好みでいくつかの異なるベリーを混ぜてください。フィンランド人が好きなのはブルーベリーとラズベリーを合わせたものです。もし、コケモモやツルコケモモなど、酸味の強いベリーを使う時には砂糖の分量を少し増やしてください。

2009年4月20日
お母さん、キーッセリ作っていい?

PHOTO:原田 智香子

男性や子供が好む甘いデザート、キーッセリ

フィンランドの冬はやっぱり長く、時には素敵な夏が恋しくなったりします。そんな時には、太陽をいっぱい浴びた夏の恵みである山ほどのベリー以上の妙薬はありません。

キーッセリは甘い、特に男性や子供が好むデザートです。キーッセリの作り方はとても簡単なので子供に作ってもらっても良いでしょう。トロリとしたキーッセリは、熱いジュースに冷たい水で溶いた片栗粉を混ぜるだけで、チチンプイプイ ヒラケゴマ! と子供の手の中で出来上がってしまいます。

子供がちょっとぐらいキッチンで片栗粉をこぼしても危険なことはありませんよね。お母様はブルーベリーが床に落ちていないかと、ちょっと目を見張るだけでいいでしょう。真っ白なカーペットに黒いしみがつかないように・・・。

コックさんとなった子供たちはちょっと信用にかけますし、スプーンで直接鍋から味見をしたり・・・なんてことにもなりかねませんが、それだって特に危険なことはありません。ベリーの持つ貴重なビタミンを一度に大量に摂取してしまうという事にはなりますが!

フィンランドの家庭の冷凍庫には必ずベリーが入っています。夏の間ベリー摘みに精を出した人は自分で摘んだベリーを冷凍保存しているはずです。(そうでなかった人も働き者の母親が摘んだベリーがバケツ一杯分くらい、娘の家の冷凍庫に入っているはずです。実はこれは私の話です・・・)

もし、身近な親戚の誰もが夏の間ベリーを摘むことが出来なかった場合には、近所の食料品店の冷凍食品売り場に行けば大丈夫。様々なベリーが売っています。

日本でも冷凍のブルーベリーやイチゴは比較的品揃えの良い店では見つかると思います。フィンランドではラズベリーやコケモモ、ツルコケモモも簡単に入手出来ます。どちらの国でもイチゴはほぼ年中いつでも新鮮なものが入手できますよね。これはそのまま薄切りにしてキーッセリに入れてしまいます。

冷凍保存のベリーはフレッシュなベリーよりも少し酸味が強いのですが、それは冷凍されている間にベリーの持つ糖分が落ちてしまうからです。世の中には、健康のために何があろうとも、どこにも絶対に1グラムでも砂糖を加えない方々がいらっしゃいます。例えば医者をしている従兄弟ですが、いつでも顔をしかめながらとってもすっぱい冷凍クロスグリを食べているんです。しかも美味しいと褒めながら。

私は全く健康狂信者ではありませんので、堂々と、でも少しだけ冷凍ベリーに砂糖か他の甘味料をかけていただきます。こうすることによってベリーの糖分が本来持っていたレベルに戻るわけです。

キーッセリの作り方は幸いとても簡単です。最も大切なポイントはベリーに必要以上に熱を加えないと言う事。ベリーの持つビタミンCが壊されてしまいますし味も落ちてしまいます。熱いキーッセリに冷凍ベリーを入れればベリーはすぐに解凍しますし、必要のない熱を加えることもありません。

フィンランドではキーッセリにはとても古い伝統があります。父方も母方も、両方の祖母がキーッセリを作ってくれたのを覚えています。いつでも夏の初めにはとてもすっぱいルーバブキーッセリ、6月にはイチゴで、7月はブルーベリー、とその時々の旬のもので作ってくれました。祖母が生クリームをホイップして上に乗せてくれると、いつものキーッセリが突然豪華に感じられたものです。嗚呼・・・たくさん可愛がってもらったなあ、と子供時分の夏が思い出されます!

私の母は、キーッセリに冷凍ベリー以外の果物を何でも混ぜて作っていました。彼女の秘密の武器は瓶詰めのジャム。母は冷凍ベリー・キーッセリに大さじ2~3杯くらいのジャムを入れます。ジャムはイチゴでも、ブルーベリーでもラズベリーでも、何でもかまいません。そうすると出来上がりは結構甘くなりますが、ベリーの味がもっと強く感じられるし、また全体的に味にふくらみが出てきます。


Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

ヘルシンキを拠点とした現地でのガイドツアーや様々なサービスを日本人旅行者に提供する会社、My Suomi(マイスオミ)代表取締役。実はフィンランド屈指のアンティークコレクターでもある。フィンランド・ヘルシンキ在住。

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ベリーキーッセリはパズルのようなものと考えてください。 始めにジュースを選び、それを片栗粉でとろみをつけ、最後にベリーを加えます。その組み合わせでいろいろなものが出来ます。クロスグリやアカスグリのジュースをベースに作ると味に酷が出ますが、出来上がりは黒っぽくなります。りんごジュースはさわやかな味に仕上がりますし、ベリーがきれいに見えます。キーッセリに使うベリーはお好みでいくつかの異なるベリーを混ぜてください。フィンランド人が好きなのはブルーベリーとラズベリーを合わせたものです。もし、コケモモやツルコケモモなど、酸味の強いベリーを使う時には砂糖の分量を少し増やしてください。

2009年3月6日
リンナンマキのウインターパーティー 氷点下の中の雪遊び

PHOTO:原田 智香子

寒い冬こそ外へ出て元気に遊ぶのです

一冬も真っ只中の2月。外はマイナス10度、雪が50cm積もったフィンランドでは何をすると思いますか?暖炉を暖めてぬくぬくと家にこもるのでしょうか?そうではないんです、そんな時こそ外へ出て元気に遊ぶのです。

フィンランドの子供は、スキーなどのウインタースポーツや冬ならではの屋外の遊びを体験するために設けられた1週間のお休みがあります。この休暇の制度は今のおばあちゃんたちが子供だった頃の1930年代に始められました。目的は子供や若者がここで元気を蓄え、学校の長い春学期を乗り切ることにあります。公の許可を得て子供たちは思い切り外で遊ぶことが出来ます。そしてフィンランドの子供たちはこのチャンスを無駄にはしません。

フィンランド人はこの休暇にソリで丘を滑り下りたり、外でソーセージをグリルして食べたり、ホイップクリームがたっぷりのったラスキアイス・プッラを熱いジュースと一緒に食べたりして氷点下の寒い日を祝います。

リンナンマキのウインターパーティー

先週の土曜日に私は我が家の子供たち、ヘンリとメリ、そして彼らのいとこのヤーッコ、ユーリアと一緒にヘルシンキの有名な遊園地リンナンマキのウインターパーティーへ行ってきました。

冬の最中、遊園地がカルーセル (メリーゴーランドの意) をオープンし、私たちヘルシンキ住民はリンナンマキのウィンターパーティーでこの休みを過ごす・・・これはきっと他の町で暮らす人々の過ごし方とはずいぶん異なっているはずです。それでもコートを着てウールのショールを頭に巻き、子供たちと一緒にぐるぐる回るコーヒーカップに座るのはとっても楽しいものでした。

この冬はヘルシンキでも本格的な冬を楽しみました。バルト海沿岸のヘルシンキではこのように寒くて雪がしっかりある冬はけして毎年やってくるわけではありません。こんな風に雪が十分にあり氷も十分な厚さがあるのなら、と私たちはキックスレッジを取り出しました。フィンランド人の古い発明品です。凍った道ならこれがあればどんなに長い道のりでもすいすい行ってしまいます。

昔このキックスレッジは冬季の移動手段としてなくてはならないものでした。今でも地方では頻繁に使われています。そしてキックスレッジの素敵なところは友達を乗せることが出来るところです。

写真 (一番上のタイトル写真) から見ていただけると思いますが、男の子組のヘンリとヤーッコはまるで騎士のように女の子たちをソリに誘います。そして走り出したが最後、恐怖に叫ぶ女の子たちを気にもとめず、男の子たちは氷の道を暴走します。

もう一つ、やはり古くからの子供の遊び道具で面白いのがアイススレッジです。これは長い棒の先にそりが付いていて、まるで大きな円を描くコンパスを思わせるような構造です。仲間同士でビュンビュン回して遊びますが、現代のモーターで回るカルーセルなんかよりずっとスピード感があるんです。20回ぐらいぐるぐる回せば頭もぐるぐる回ってきます。

充分に遊んだ後は中に入り体を温めます。子供たちは熱いカカオを、大人たちはコーヒーをいただきました。熱い飲み物にはどうしても何か甘いものがほしくなります。幸運な子供はもしかするとお母さんが作ったおいしい2月のおやつ、アーモンド風味のルネベルグ・タルトが食べられるかもしれません。


Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

ヘルシンキを拠点とした現地でのガイドツアーや様々なサービスを日本人旅行者に提供する会社、My Suomi(マイスオミ)代表取締役。実はフィンランド屈指のアンティークコレクターでもある。フィンランド・ヘルシンキ在住。

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2008年12月25日
クリスマスムードいっぱいのオールド・マーケットホール

PHOTO:原田 智香子

ヘルシンキのオールド・マーケットホール

ヘルシンキのオールド・マーケットホールでクリスマスのご馳走を買うことは、ヘルシンキ住民にとって毎年繰り返される贅沢な習慣の一つです。

私をここへと呼び寄せているのは伝統です。1960年代、私が小さかった時にもやはりクリスマスの準備が始まると父と母は私をここに連れてきました。

ホールに来て始めにすることは、熱々のグローブの香りの強いグロギをいただくこと。グロギと一緒に星型のプルーン・ジャムパイはなくてはならないし、場所はホールにあるスネルマン・カフェに決まっています。

オールド・マーケットホールはヘルシンキ・マーケット広場の直ぐ隣にある古い赤レンガの平屋建ての建物です。この建物は今119歳。ハカニエミのマーケットホールが日常的な買出しの場所として知られているのに対して、ここはグルメのメッカとして有名です。

子供の時にはホールの中でみる魚が特に印象的でした。バルト海ニシンは大きな木箱に入っていて何千匹もいるように見えました!大きな鮭はおそらく私と同じ重さがあるでは、と思うくらい大きくて子供の目には恐ろしくも見えました。

今日はホールに行き、昔からの伝統を法りつつひと時を楽しんできました。たくさんのことが昔とちっとも変わりません。ライ麦パンがたくさん積み上げられています。クリスマス料理のための根菜のラントゥやにんじん、レッドビートが格好よく山盛りになっています。ピパルカックは昔ながらの型で焼かれています。

このホールで私の子供時代に物を売っていた人たちと、今いる人たちは大体同じ顔をしています。何故かというと、大抵のホールにテナントを持つ人たちはその権利を親族で受け継いでいくからです。買い物に訪れる客たちもやはり、自分の家族が何十年もの間いつでも買い物をして来た、同じ売り手の家族から買うのです。

ホールの商人から教わるアドバイス

ホールの商人たちは長年お客にいろいろなアドバイスをしてきた経験があります。もちろんすべてのお客が売り手からのアドバイスを期待しているわけではありませんが、私は大歓迎。私はホールの売り手たちを〈歩く料理本〉として大いに利用します。私は彼らからとてもたくさんの料理のコツを教わりました。

彼らから聞き出すことの一つは、いったい彼らは自分の売り物の中から何を自宅に持ち帰るのか、ということ。ほとんどいつも正直なところを教えてもらえます。こうして私もその店で一番おいしいものをショッピングバッグに収めることができるというわけです。

たくさんの旅行者がマーケット広場のついでにこのホールへも足を伸ばします。何人かの売り手たちに、「日本人の旅行者には何をお土産に勧めるか」と聞いてみました。

魚屋のぺトゥリ・ナティッラさんからはすぐに返事がもらえました。「フィンランドの魚の缶詰!」。ここ数年の間にフィンランドにはいくつかの高品質の魚や肉、きのこの缶詰・ビン詰めを製造する新しい会社が生まれました。その中でぺトゥリさんのお勧めの一品は、カラ・カッレ(Kala-Kalle)というブランドの直火焼き鮭の製品だそうです。

普通の魚の缶詰からも、たとえばサーモンのゼリー固めのようなとてもおいしい料理が作れます。これも鮭缶から作れるんです。レシピはこちら。これは高級感のある料理なので年末年始のパーティー時期にぴったりの料理です・・・今はちょうど一年で一番おいしいものを楽しむ時期です。


Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

ヘルシンキを拠点とした現地でのガイドツアーや様々なサービスを日本人旅行者に提供する会社、My Suomi(マイスオミ)代表取締役。実はフィンランド屈指のアンティークコレクターでもある。フィンランド・ヘルシンキ在住。

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2008年11月12日
トーベ・ヤンソンのグルーヴハル島

PHOTO:原田 智香子

クルーヴハル島にあるトーべ・ヤンソンのサマーコテージに一歩足を踏み入れた時、私は一瞬にしてすべてがわかったような気持ちになりました。

大きな古い書き物机の上にあるあの大きな白木のオイルランプ・・・ムーミンパパはいつもあれと同じランプの下で覚書きをしていました。

あそこにある時代物の鉄製の調理用ストーブはどう見てもムーミンママのストーブです。ここでムーミンママはパンケーキを焼いたんです。食器棚には100年以上も古いアラビアのFasaaniシリーズのお皿があります。つまり、これこそムーミンママが彼女のおばあさんから受け継いだお皿です。

本棚に並ぶ本を見ていくと、なるほどこれがムーミン作家の参考文献図書館です。世界地図、地名辞典、魚類、鳥類、植物辞典、軟体動物辞典は何冊もあります。それから日本の貝類についての本(The Shells of Japan, Tadashige Habe, 1971)もありました。ニョロニョロの発明者は海底にうごめく不思議な生き物たちがどんな物だったかをきちんと知っていたんですね。

トーべ・ヤンソンと彼女のパートナーでグラフィックデザイナーのトゥーリッキ・ピエティラはクルーヴハル島とこの美しいコテージには1992年を最後に、それ以降もう訪れることはありませんでした。彼らは個人的な持ち物のほとんどをコテージにそのまま残して立ち去りました。その物たちは今だにそのまま、そこに置かれています。毛糸の靴下、窓辺を飾る岩場から集めた美しい小石の数々、サングラス、昔使われていた油を含んだ布から作られた漁師のための雨合羽、彼女の親戚が作った古い漁のための網など、そういったものがそこここにあります。

薬箱には彼らの常備薬が並んでいます。ムーミンママも使っていた薬です。調味料棚には彼らの調味料入れが並んでいます。そんな小瓶にはトーべは美しく古びた感じの手書きでラベルをつけています。

多分私は想像を逞しくしすぎているのでしょう。ムーミンのお話のほとんどはトーべとトゥーリッキがこのコテージを建てた年、1965年以前にすでに書かれています。でも、少なくともこのオイルランプはムーミンハウスのランプと全く同じです!私の思い込みを別にしても、ここにある物はとてもロマンチックで、少なくとも私がまだヤンソンのお話の中から見つけていない凄い物でいっぱいです。たとえばこの天井の丸太。これは大きな古いヨットのマストだったものに間違いありません。そこにはまだマストのリングやフックがついています。この船はどの海を渡ってきたのでしょうか?

嵐に耐えるクルーヴハル島のコテージ

このコテージを歩き回りそこにあるいろいろなものについてあれこれと考えているうちに、この勇気あるまったく普通でない女性に対して大きな愛情と憧れの気持ちがあふれてきました。彼女はこのコテージに暮らし、世界中が評価する芸術を生み出したのです。

ここに一年の半分を暮らすことは決して簡単なことではなかったはずです。全部で25平米のコテージとコケと自然の花が咲く岩場で、かれらは28年間暮らしたのです。クルーヴハル島の向こうには何ひとつ見えない外洋が広がります。バルト海の嵐は怒るように波も高く、その波は二つに分かれる島の低いほうを越えていきます。

たとえ温度計が16℃を示していても、風が強くなると島では寒くなります。ダウンコートを着て風の強いとき岩場に座ってみましたが決して大げさではありませんでした。

この島へはなかなか行くことは出来ません。島には船着場さえないのです。船は島の南西にある小さな石の出っ張りに付けなければなりません。つまり、南西の風が強いときには船が岩場にたたきつけられる恐れがあり、船が壊れるかもしくは自分が怪我を負うことなく上陸することは出来ません。

船が付け易いような気候の時であってもここまでの船の移動は決して簡単ではありません。ここは常に波の高い海域で、船が飛び跳ねる度にそこに乗る人々のお尻を痛いほどたたきつけます。

トーべ・ヤンソンはどうやら怖いものなしの人だったようです。彼女は、嵐がとても強くても島へ行きたい時には海上保安庁の船でクルーヴハル島の近くまで行きました。船が充分に島に近づくとトーべは服を着たまま海に飛び込み、島まで泳いだのです。そのとき彼女はけして若かったわけではありません。だってトーベが生まれたのは1914年。つまりこのコテージの建築が始められたのは彼女が50歳の時なのですから。

でもコテージにはサウナがありますし、古い鉄のストーブは素晴らしくすぐにコテージを暖めます。ずぶ濡れの水泳選手はおそらくとても早く温まることが出来たのでしょう。思うに彼女はまずサウナに入り、そして熱々のオートミールをつくり、温かいお茶を飲み、そしてベットに潜り込んだに違いありません。少なくとも私ならそうするでしょう・・・

クルーヴハル島には2泊3日滞在しました。そのうち丸々一昼夜はたった一人で過ごす機会に恵まれました。それが1週間であったなら、出来ることなら1カ月だったら・・・とどんなに願ったことでしょう。トーべのベットでぐっすりと眠りました。

島には電気はありません。パソコンをしたりテレビを見ることも出来ません。ここでは自分自身、自分の心配、自分の疲労、自分の恐れと向き会わなければならないのです。薄暗くなった夜、嵐の中、濡れた岩場を歩き外にあるトイレまで行く時には神経を落ち着かせなければなりません。何かが飛び出した!大きなかえるです。

クルーヴハル島の魔術はとても簡単に獲りついてしまいます。娘のメリ(8歳)がこのコテージに入り叫びました。「本当にトーべ・ヤンソンがこの椅子に座ったの?私がここに居るって、本当にほんとう?」

この島には他に2人の日本人のお客様とマイスオミチームのミドリが訪れました。皆もこの島とコテージの美しさに魅了されました。

小さなコテージはデザインでいっぱい

トーべとトゥーリッキは古く美しいものを大切にしましたがモダンデザインも評価しました。コテージで使われるコーヒーカップの一つはアラビアのウッラ・プロコペがデザインしたヴァレンシア。その大きいサイズの方があります。

トゥーリッキ・ピエティラとマイヤ・イソラが知り合ったのは1950年代のパリで、二人ともパリで芸術を学んでいた頃のことです。コテージの窓を飾るのは、マイヤ・イソラが1963年にマリメッコにデザインしたアナナス(パイナップル)のカーテンです。南と北の窓は黄色で東と西の窓はオレンジのものが掛かっています。

トーべとトゥーリッキが古いアンティックと1960年代のモダンデザインを如何にさりげなく一緒に使っているかに感心しました。2人とも画家です。彼らはこれからの世代が彼らのスタジオを見ることが出来るようにと意図的に持ち物をクルーヴハル島に置いて行ったのです。

たくさんのトーべ・ヤンソンのファンの方々はきっとクルーヴハル島に行って見たいことでしょう。しかしながら島はけして多くの人を送り込むことの出来ない自然保護地区に含まれます。それにこの小さなコテージは大きなグループの訪問客に耐えることは出来ないでしょう。


Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

ヘルシンキを拠点とした現地でのガイドツアーや様々なサービスを日本人旅行者に提供する会社、My Suomi(マイスオミ)代表取締役。実はフィンランド屈指のアンティークコレクターでもある。フィンランド・ヘルシンキ在住。

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2008年9月25日
魅惑のプッラ

PHOTO:原田 智香子

オーブンから立ち上るプッラの焼けるかおりに刺激され、焼き上がりを待って台所を出たり入ったり、と落ち着かない子供たちや夫の様子を見ることは母としてとても楽しいものです。

プッラとは、フィンランド語で甘いパンの総称。私はほぼ毎週プッラを焼きますが、その時にはいつでも同じように台所が混雑します。プッラがものすごく好きで、時には小ぶりのプッラを11個も食べてしまうような、たくさんのプッラを頬張る子供のことを「プッラねずみ」と呼びます。怖いことに、もしかすると我が家の子供たちには二人ともこのあだ名がつきそうです。

プッラは一人一人の子供時代の記憶に含まれるもので、それぞれの母親がそしておばあさんが、それぞれ世界で一番おいしいプッラを焼きます。プッラのかおりが家を“家庭”にし、安全な居心地を生み出します。フィンランドの最も有名な料理人でミシュランの星を持つハンス・ヴァリマキも、プッラ大好き人間として名乗りを上げています。

-オーブンから立ち上るプッラのかおりに勝るかおりを僕は知らない。そこにはノスタルジーとともに、気持ちを落ち着かせ、力を与える魔力がある。

とヴァリマキは雑誌のインタビューで答えています。 プッラのかおりは営業促進の手段としても利用されています。不動産屋は物件の売り手に、買い手の候補となる人が見学に来る直前にはプッラを焼くようにと勧めます。

次の世代へと受け継がれるプッラ

おばあちゃんと孫が一緒になってプッラを焼くこともよくあることです。おばあちゃんと一緒にプッラを焼けば、間違いなく正しいプッラの作り方を覚えることが出来ます。おばあちゃんも自分の子供時代にはやはり自分のおばあちゃんと一緒にプッラを焼いたのです

おばあちゃんはプッラを焼きながら孫が大好きな自分の子供時代の話を語って聞かせます。

私の母、インケリと娘のメリが一番好きな一緒の時間の過ごし方、プッラを焼くところを撮影しました。インケリおばあちゃんと孫のメリはすでに何十回も一緒にプッラを焼いています。初めてのときメリはまだ2歳でしたが今は8歳です。今ではメリもとても上手に手のひらで生地を小さく丸めることができるようになりました。

フィンランド人をフィンランド人にするいくつかの物事があります。サウナ、ミートボール、サマーハウス、サンタクロースなどがそうですが、プッラもその一つです。

それぞれのフィンランド人のプッラに対してと、そこに材料として何を入れるか、という意見はとってもはっきりしていて、それはその家族の中で脈々と受け継がれていきます。 ある人はプッラにはカルダモンがたくさん入っていなければならない、と言います。他の人は、レーズンの入っていないプッラなんてプッラではない、と言います。フィンランド人の会話の中で、「プッラからレーズンをつまみ取る」と言うと、それは誰かが何かにおいて自分に利益のあることだけを先を越して取ってしまうときに使います。

かもめ食堂で作ったシナモンロール

最近では頻繁にプッラの生地を使ってシナモンロールが作られます。映画の「かもめ食堂」の中で作ったシナモンロールはとってもポピュラーなパンです。

シナモンロールの味はもう既に独り歩きさえ始めています。去年の夏の新商品の中で一番のヒット商品はシナモンロール・アイスクリームでした!

最近はシナモンロールをものすごく大きく作ることがトレンドです。たくさんのフィンランドのパン屋さんやカフェが、半径が20cmもあるとにかくジャンボなシナモンロールを作ります。

もしシナモンロールをその日のメインディッシュにしたくない場合には、小さなかわいいシナモンロールもあります。(Pågenと言う名前のスウェーデン産のミニ・シナモンロールはほとんどのお店に置かれています。ビニール製の袋に小さなシナモンロールが12個入っています。どうやらスウェーデン人もシナモンロールのことがいくらかはわかるようです。もちろんフィンランド産の方がおいしいですが・・・。)

私自身もシナモンロールをたくさん焼きますが、でもこれはプッラの生地で作ることが出来るものの中の一つに過ぎません。プッラの生地と言うのは、たとえばインケリのような達人にかかれば、あっという間にテーブルがすばらしいパーティーのためのおもてなしで一杯になる、とても便利なものなんです。


伝統的なプッラの種類をご紹介します。

-ミニプッラ(Pikkupulla)

手のひらで丸める小さなプッラ。ザラメでトッピングします。

-バターの目プッラ(Voisilmäpulla)

ミニプッラの天辺にくぼみを作りそこにバターと砂糖をおとします。

-4つ編みプッラ(Pullapitko)

棒状にした生地を編むようにして細長いプッラにします。ザラメやアーモンドスライスなどでトッピングします。最も伝統的なプッラです。1cmほどの厚みにスライスしていただきます。

-サワークリームプッラ、バニラクリームプッラ、ベリージャムプッラ

それぞれ作り方は同じです。丸めて扁平につぶした生地の真ん中をすこしくぼませ、大さじ2、3杯のサワークリーム、バニラクリーム、ベリージャムなどを載せます。

-プッラリース(pullakranssi)とプッラケーキ
(ボストンケーキBoston-kakkuとも言います)

ちょっと不思議ですが、フィンランド人は何故かプッラにアメリカの町の名前を付けたがります。大手のパン製造会社のファッツェルもバニラ入りプッラを<ダラス>、シナモン入りを<テキサス>と言う名前で販売しています。 プッラリースとシナモンロールは同じテクニックで作られます。はじめに生地を平らに伸ばし大きなシートにします。(テーブルにはりつかないように生地の上にも下にもタップリと粉をひいてください。)

シート状の生地の上に溶かしバターを刷毛で塗り、シナモンと砂糖を混ぜたものを振りかけます。

シートを端からロールして棒状にし、端から輪切りにします。
ロールの棒を輪切りにし、個別に焼くとシナモンロールで、ロールの棒をそのままリング状のケーキ型に入れその表面にはさみで切れ込みを入れて飾りをつけて焼くとプッラリースとなります。


Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

ヘルシンキを拠点とした現地でのガイドツアーや様々なサービスを日本人旅行者に提供する会社、My Suomi(マイスオミ)代表取締役。実はフィンランド屈指のアンティークコレクターでもある。フィンランド・ヘルシンキ在住。

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2008年7月7日
マーケット広場で会いましょう

PHOTO:原田 智香子

広場のカフェはまさに至福のひととき
私にとって、そして我が家の子供達にとっての夏は、ヘルシンキ市の中心にあるマーケット広場に「その夏初めてのアイスクリーム」を食べに行く日から始まります。特に娘のメリと私は「広場タイプ」の人間と言ったら良いのか、とにかく頻繁にマーケット広場に足を運びます。人間観察をしたり、マーケットに出ているおいしいものを食べてまわったり、かわいい雑貨を見つけては無駄遣いをしたり、カフェに座ってコーヒーを楽しんだり・・。二人で広場での時間を楽しみます。

フィンランドにおいて、広場のカフェはまさに至福なのです。いわゆる「粋」な人々は皆、広場のカフェとそこに座って口いっぱいに頬張るジャム入りドーナツやミートパイが大好きなのです。

広場には時にフィンランド共和国大統領タルヤ・ハロネン氏も訪れます。大統領官邸はマーケット広場の傍にあるので、彼女は広場に立ち寄ることができるのです。他にもテレビでお馴染みのセレブや著名な大学教授などをよく見かけます。たまに見かけるのはユニークなファッションを身にまとった芸術家。そしてもちろん夏は世界中からヘルシンキに観光にいらっしゃっている方々を本当に多く見かけます。ヘルシンキに観光でいらっしゃる外国からのお客様が皆さんこのマーケット広場に必ず一度は足を運ばれているのは間違いないでしょうね。

稀にですが、港に面したこのマーケット広場について「いつも騒々しいし、海風も強すぎる!」と酷評する人に出会います。でも、広場のカフェに座っているとそんな評価も全く気にならなくなってしまいます。カフェでは、お腹をすかせたかもめが舞い降りてきてテーブルのお皿から、もしくはそれをつまんでいる人の手から直接、シナモンロールのかけらを取っていく光景をたまに目にします。でも、こういうことに目くじらを立てること自体がナンセンス。これが生命なんですから。私達「広場タイプ」の人間は、これくらいじゃ動じません。

広場に欠かせない楽しみがもう一つあります。友人とばったり出くわすことです。ばったり出会った久しぶりの顔を眺めながら一緒にコーヒーを飲んで、街で起こっているあれこれについて噂話を楽しむのです。かしこまった街中のカフェよりも、広場のカフェの庶民的な雰囲気でのほうが、こういう話は盛り上がるものです。気心の知れた友人とたくさんおしゃべりをして、たくさん笑って・・。開放的な空気が流れる広場のカフェはこうした楽しみ方がぴったりです。

広場のカフェは前向きな気持ちを持って楽しまなければいけません。カフェの小さなテーブルは不安定にグラグラを揺れることもあります。揺れに耐えられずコーヒーがテーブルにこぼれてしまうこともあるかもしれません。でもこれは広場がコンクリートで均一に補正されていない証拠。ヘルシンキ市は歴史や伝統の保全に力を入れている都市なので、広場の地面もゴロゴロとした石畳。昔のままの姿なのです。(余談ですが、ハイヒールでこの広場にいらっしゃることはあまりおすすめしません。)

マーケット広場独特の雰囲気
いわゆる「観光地」と呼ばれる場所についてまわる懸念として、「外国から観光でいらっしゃる方々で溢れてしまったら、その場所特有の雰囲気や特徴が損なわれてしまうのではないか」というものがあります。でも、このマーケット広場にはそれが無いのです。この背景にはフィンランドの地理的状況、ヘルシンキの歩んできた歴史などが関連しているのですが、理由を一言であらわせば「ヘルシンキにはもともと外国の人々が多く暮らしていた」ということになります。外国とは主にスウェーデン、ロシア、ドイツなどを指しますが、観光のお客様が多くいらっしゃる以前からこうした国の人々が生活の一部としてこの広場を利用していたのです。結果として、マーケットの売り子さんと買い物をしているお客様の間で必ずしも言葉が通じていない光景が伝統的に見られます。でも不思議とお買い物は成立するのです。「観光地」として損なわれるどころか、このマーケット広場独特の雰囲気は今でも息づいています。

マーケット広場独特の雰囲気を保っている要因はもう一つあります。それは広場に出品されている品物がどれもフィンランドで作られたものであることです。ハンドクラフトや編み物などの雑貨のほとんどは職人や制作を趣味として行っている人々が自分でお店を出しています。顔が見える安心感と、保証されたクオリティの高さはずっと変わらない広場の特徴です。トナカイの毛皮にあたたかい色合いが目を引く手編みのミトン、木目の美しい木工製品に陶製のアクセサリー。どれも本当に綺麗で、眺めていて飽きることがありません。飽きないと言えば手編みのミトンや帽子、靴下などを売っているおばあさん達です。一日中小さなテーブルの後ろに座って編み物をしながら店番をしている彼女達。編み物が出来上がったらテーブルにのせて売り物に。デザイン、制作、販売をすべて一人で、小さなテーブルで行う彼女達にはいつも驚かされ、鮮やかな手つきは見ていて飽きることがありません。

広場での時間を彩る音楽もこの広場ならではのもの。海辺に置かれた空き箱に座ったおじいさんが演奏するアコーディオンの音色が定番です。曲目もフィンランドで1910年代、20年代から愛されているダンス音楽と相場が決まっています。

最も重要な夏の味覚、新じゃが
マーケット広場が最も賑わいを見せる季節は、ちょうど今くらいの初夏からです。ガーデニング関連のお店も増えるこの時期は、様々な花や植物の苗が溢れるように並べられます。その色の鮮やかさも強い香りも他では味わえない魅力です。他に見逃せないのは新じゃがを並べている野菜のお店です。その夏一番に採れたフィンランド産の新じゃがはフィンランドの人々にとって最も重要な夏の味覚なのです。

冬の間に食べるじゃがいもはだいたい1キロあたり1ユーロほどですが、夏が始まって新じゃがの季節になると突然じゃがいもは高級食材になるのです。このじゃがいもの中でも私のお気に入りはシークリという品種。このシークリ、茹でたてを口に含んだ時の柔らかさと甘さは言葉で表現できないほどおいしいんです。例えばこのシークリという品種はだいたい0.5キロで14ユーロほどのお値段。味だけでなくお値段も立派ですが、私は夏になるといつもこれを買います。

新じゃがのお話で忘れてはいけないものを最後に。それはハーブのディルと魚です。じゃがいもと同じ野菜のお店から大きく育ったディルを一束。そして魚のお店からはスモークされたサーモンや白身魚を。ここまで揃えたらもう他には何も要りません。楽しかったマーケット広場での時間を後にして真っ直ぐ家路につきます。新じゃがを茹でたら家族みんなで夏の味覚を楽しむ時間です。

Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

ヘルシンキを拠点とした現地でのガイドツアーや様々なサービスを日本人旅行者に提供する会社、My Suomi(マイスオミ)代表取締役。実はフィンランド屈指のアンティークコレクターでもある。フィンランド・ヘルシンキ在住。

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今回のコラム用にマーケット広場にて写真撮影を行った後、出来上がった写真に写る私と娘のメリを眺めた時「しまった・・・。」と思いました。大切なコラムに載せる写真だというのに、メリも私もサングラスを外すのを忘れていたからです。

説明させてください。フィンランドの人々にとって太陽は特別なものです。夏にその光を全身で浴びる時、私達は太陽に対して「愛」に近い感情を抱きます。フィンランドの冬が暗く、寒いことはご存知の方が多いと思います。11月から2月半ばにかけて、私達は深刻に光不足に悩まされるのです。そんな冬を越した後にようやく太陽の光を感じられる5月、私達はその光自体を祝いたいような気持ちに駆られるわけです。その最も端的な手段として、誰も彼もがサングラスをかけてしまうのです。

私達フィンランド人にとってサングラスはアクセサリーや目を保護するための道具といった以上の意味を持ち、一種の意思表示になっています。サングラスには「私は夏も人生も存分に楽しんでいるわ!あー最高!」というフィンランド人の切実なメッセージが込められているのです。

2008年5月15日
リーヒマキガラス美術館

PHOTO:原田 智香子

リーヒマキのガラス美術館
美しいものをたくさん見たくなった時、私は一人で、時には友人と連れ立って、リーヒマキにあるフィンランド・ガラス美術館に行きます。ヘルシンキから約100キロメートルのその場所は、フィンランドで私が最も愛する場所のひとつです。

リーヒマキのガラス美術館は、フィンランド・デザイン界最大の<公然の秘密>といえると思います。この美術館の所蔵物のレベルの高さからいって、ここには怒涛のように人が訪れてもいいと思うのですが、ここを見つける旅行者は非常にまれです。美術館があまり知られていないということは反対に考えますとよい点でもあります。静かな環境でゆっくり作品を見て、自分の考えに没頭できるからです。

ガラス美術館のメインルームは1900年代初頭のモダンガラスが展示されています。薄暗いスペースに、スポットライトで明るく浮かび上がるガラスケース。それはまるで物語の中のお寺のようで、ついソロリソロリと足音を忍ばせて歩きたくなってしまうような雰囲気です。

このガラス美術館には少なくとも20回は訪れている私ですが、いくつかの作品は、見るごとに、まるではじめて見たような気分になります。また、何度も見てきたおなじみの作品に対して突然開眼し、<あっ、そうだったのか・・・>と、その作家の考えが分かったような気持ちにもなります。

フィンランド人だったら誰でも、今までに見たことのあるガラスや毎日実際に使っているガラスをこのガラス美術館でいくつも見つけるはずです。フィンランドではデザインは決して金銭的に恵まれた人のものでもなければ、トレンドに詳しい人の特別な世界のものでもなく、すべての国民の暮らしに含まれるものなのです。

フィンランド人の一人一人の家庭に、カイ・フランクの アイノ・アアルトのグラス など、何かしらのデザイン・グラスがあります。そして驚くほど多くの人が、作品の裏側に作家のサインが入っている、アート・グラスを持っています。

このガラス美術館では、ガラスデザインの歴史を垣間見ることが出来ます。たとえば、アルヴァー・アアルトのサヴォイベースの第一回目の試作品や、吹きガラスで作られた薄手のカルティオの第一作、オイヴァ・トイッカの1960年代のポップ・アートなどなど、なんでもありです。

デザインはフィンランド人の財産
フィンランド人デザイナー達に未来を見る力があったおかげで、デザインはすべてのフィンランド人の財産となりました。アルヴァー&アイノ・アアルトを始めとするデザイナー達は、一般労働者の家庭を、彼らの毎日の生活を美しいものにしたいと望みました。

お金のある人々は、いつでも身近に美しいものを見つけるでしょう。しかし、使いやすく、美しいものをあらゆる場所で使っていきたい・・・フィンランド人デザイナー達の挑戦はそこにありました。彼らのデザインしたものは、十数年か、時代を先取りした物となりました。

さらにその後、カイ・フランクはデザイナーの社会的な責任について表明しました。彼はデザイナーは出来る限り機能的な製品を作るべきであると考えました。ちょうど ティーマ・シリーズ や カルティオ のようなものですね。さらに彼は、デザイナーには環境にやさしい製品を生む責任があることを1960年代に明言した最初の人物でもあります。

オイヴァ・トイッカの美しい花のフローラ・グラスは、最近日本のコレクターに人気がありますね。でも、これが以前は山ほど作られ、たくさん売られていた物である事を知っている人は少ないようです。オイヴァ・トイッカも社会的な考え方をする人です。彼は、ガラス工場に働く人たちに十分な仕事があり、彼らが十分な報酬を貰うには、出来る限りたくさん売れるものを作りたいと考えました。

この楽しい実用グラスが製品化した後、彼はゆっくりとアートグラスに時間と労力を掛けることが出来たわけです。トイッカの1960年代のロリポップを見ていただけますか。私はこれは世界でも最上級のポップ・アートだと思います。

Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

ヘルシンキを拠点とした現地でのガイドツアーや様々なサービスを日本人旅行者に提供する会社、My Suomi(マイスオミ)代表取締役。実はフィンランド屈指のアンティークコレクターでもある。フィンランド・ヘルシンキ在住。

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ヨーロッパを旅行なさった多くの日本人の方々もおそらく気がついていらっしゃると思いますが、特にフランス、イタリアそしてイギリスではとてもたくさん小麦を食べます。それはパンやクッキー、ケーキだったり、パスタだったりします。フィンランド人も小麦を使いますが、それに加えてオート麦、ライ麦、大麦などが一般的な食材に含まれます。

この3つの中で、間違いなくオート麦が一番おいしいといえると思います。オート麦はやさしい味なのです。これをフィンランドではパンにしたりオートミール粥にしていただきます。特に朝食としてオートミール粥をいただくのはとてもポピュラーです。フィンランド人の子供たちのほとんどが、毎朝オートミール粥を一皿分食べていますし、彼らの親たちも同じように育ちました。

フィンランドのほとんどのパンにはライ麦が含まれています。フィンランド人はライ麦が含まれる食品からは食物繊維と鉄分を豊富に取ることができるので健康によいと信じているんです。でも、ライ麦の味はとても強く、その尖った味には子供時代から食べ慣れていないと馴染めないものがあると認めないわけにはいけません。

ラップランドではリエスカという薄焼きの種無しパンを大麦で作ります。これはラップランド人の伝統的な食べ物です。

フィンランドの知識人たちの発見が知れ渡れば、オート麦はまもなく世界中で食されることになるでしょう。オート麦には血中のコレステロール値を下げる働きがあるんです。私はまもなく日本にもオート麦が広まると信じています。

2008年3月20日
フィンランド人と日本人をつなぐ味覚と食器

PHOTO:原田 智香子

カイ・フランクのキルタ-シリーズ

マイスオミのツアーで日本人のお客様を、アラビア美術館にお連れする時はいつも意気込んで熱くなってしまう私なのですが、数あるすばらしい品々の中でも私を一番熱くさせてくれるのは、カイ・フランクのキルタ-シリーズが収まっているガラスケースです。そこには他にも彼が1950年代にアラビアにデザインした作品が詰っています。

(キルタ-シリーズは ティーマ-シリーズ の前身です。ティーマは現在でも生産されていますね。)

先日、家具デザイナーとしてお仕事をなさるタカダさんをアラビア美術館にお連れした時のことです。私が説明を始めようとすると、

「カイ・フランクはこの作品をデザインする前に日本を訪れたんですか?」

あまりに的を射た質問でしたので、つい笑い出してしまいました。キルタ-シリーズは1953年に発売されました。カイ・フランクが勉強のために日本に長期滞在したのは1956年。でも、もちろん彼はずっとその前から日本に影響を受けていました。彼の作品の中でもっとも日本的なものはロケロバティLokerovati(コレクターの間では折り紙皿と呼ばれています)。フランクがこれをデザインしたのは1957年、日本から戻ってすぐでした。

日本人がこのお皿を何のためらいもなく受け入れられる意味が分かります。そして-タカダさんもおっしゃっていましたが-今では反対にフランクの食器が日本に影響を与えているわけです。

フィンランド人にとってフランクの食器はアルヴァ・アアルトの家具と同じくらい当たり前のものです。言ってみれば私たちフィンランド人はデザインに関してあまりに贅沢をし、与えられすぎで育ってきたので、すっかり常識を失ってしまったのです。最高のデザインは子供時代からいつでもまわりにごろごろしていましたし、それが当たり前と思ってしまい、そのすばらしさを評価することも忘れてしまったのです。

フィンランド人に必要なのは、私たちの目を開き自分たちの周りにある美しい品々に気づくこと、そしてどんなにすばらしい環境で生きているかに気付くことです。もう一つ、フランクにまつわるお話をしたいと思います。これはフィンランド航空で管理職を務めるペッテリ・コステルマー氏に数年前に起こったことです。

当時コステルマー氏は、フィンランド航空の東京支社に勤務されていました。 ある休暇中、コステルマー氏は妻とともに日本の山岳地帯へとドライブに出かけました。しばらく行くと小さく素敵な焼き物工房を見つけました。コステルマー氏は日本語が話せるため中に入っていき、陶芸家とおしゃべりと始めました。

しばらくするとその陶芸家は、 以前に一回だけフィンランド人に会ったことがある、と言います。
「もうそれからずいぶん経ちますなぁ・・・。」と言いながら、その客人が置いていったという本を探しに奥へ入っていきました。戻ってきた陶芸家の手にはカイ・フランクの名がサインされた本があったそうです。

日本でもブリニが作れます

とはいっても、フィンランド人と日本人の共通点を探すのがいつも簡単なわけではありません。私は先週100ものレシピをチェックし、昔からのお気に入り料理を思い出してみたり、日本人にお勧めできそうな、そして春らしいフィンランドの伝統料理はないかと一つ一つ考えてみました。

3月にはキリスト教のお祭りイースターがあります。これはフィンランドでは一年でももっとも大きなお祭りの一つですから、この時にはご馳走をたくさんつくりカロリー計算は忘れます。イースターのご馳走はたとえばパシャ。パシャ(Pasha)はラフカ(Rahka)というサワークリームから作りますが、これは日本では入手が困難です。そのほかのご馳走と言えばラム肉ですが、これも日本ではなかなか入手が難しい・・・。本当のところ私のイースターの最高のご馳走はマンミ(Mämmi)です。マンミとは濃い茶色をしたどろどろしたもので穀物を原料とするマンミの素で作りますが、これこそ世界中で、フィンランドでしか手に入らないという代物です。

頭が壊れるほど考えて出てきたのがブリニです。これをフィンランドでは2月~3月頃に食べるのです。この料理に必要な材料はそば粉。そば粉は日本でもお馴染みですよね!私はソバ茶もソバ・ヌードルもいただいたことがありますが、どちらもぜひおかわりしたいおいしさでした!

ブリニは小さくてかわいらしいパンケーキで、イクラやキャビア、グラーヴィロヒやきのこのサラダなどと一緒にいただきます。これは元々古い時代のロシアの高級料理でした。

ブリニのレシピを試してみるためにマイスオミチームを我が家に招待し、ミーティングをかねて味見をすることにしました。フィンランド-日本で一緒に食事を楽しむことへの敬意を表し、テーブルはティーマとキルタ、そして古い カルティオ・グラス でセッティングです。

このアイデアは想像以上に成功でした。フィンランド人も日本人もお皿にブリニを山盛りにし、キャビアやサーモンを口いっぱいに頬張り、幸せいっぱいのひとときでした。 フィンランド人と日本人にはたくさんの違いがありますが、でも心から一緒になって楽しめることもありますね。

Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

ヘルシンキを拠点とした現地でのガイドツアーや様々なサービスを日本人旅行者に提供する会社、My Suomi(マイスオミ)代表取締役。実はフィンランド屈指のアンティークコレクターでもある。フィンランド・ヘルシンキ在住。

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これが正しいブリニ、というものはありません。いろんなブリニがあってよいと思います。コックによっては小さな物を作る人もいますし、半径20センチもするような大きなものを作る人もいます。

同じく作り方や材料もいろいろなレシピがあります。ものによっては強力粉を使っていることもあります。大事なところは生地はイースト菌で必ず醗酵させるというところです。もう一つ大事なことは、ブリニをカリッと焼きあげるということ。コックはよく生地に炭酸水やビールを少しだけ加えます。そうするとブリニの表面にきれいにレース模様が出来るからです。

2008年2月11日
お客様にもミートボール

PHOTO:原田 智香子

なぜ、外国人のお客様にお出しできないのだろう?

7歳になる娘のメリが最近私にドキッとするような質問をしてきました。 「お母さん、なんでお母さんは日本人のお客さんにあのミートボールとソースを作ってあげないの?」

言葉が見つかりませんでした。外国のお客様が我家にいらっしゃる時、ミートボールなどの子供達が大好きな、日常的に作る簡単な料理をお出ししようとは私の頭には全く思い浮かびません。

我が家に日本人のお客様、古い友人やマイスオミのお客様方がいらっしゃる時には、いつも高級な食材を買い集め、おもてなし料理を準備します。例えばグラーヴィロヒやスモークサーモン、キャビアの類やホワイトフィッシュ、トナカイの冷燻製肉といった特別料理をバイキング式に並べます。

周りを見ても、度々外国人の来客があるフィンランド人の友人達の家では、皆同じようにしています。つまり、最高のものをテーブルに並べます。

でも、メリの質問は的を得ています。ミートボールがこんなにおいしいなら、何故外国人のお客様にお出しできないのだろう?

日本人の友人や知り合いが、“私たちフィンランド人は普段何を食べているのか”にとても強い興味を持っている事は、私も百も承知な訳ですが、それにも関わらず彼らに“本当に普段何を食べているのか”を見せてしまうのには抵抗があります。本当に恥ずかしい…。気取ったことをしている方が本物の日常を見せてしまうよりもずっと簡単なのです。

ミートボールって、全然特別に見えません。具がしっとりと、柔らかめに出来た時は完璧なボールにならなくて、それぞれが思い思いの形になってしまう事もあります。 思うのですが、人って世界中のどこでも、お客様には本当の姿よりも・・ましな姿を見せたいものではないでしょうか。だから、どんなに質素な食事をしているかを人に見せるのには勇気がいるのですね。

手作りだからこそ、世界一おいしいんです

もうひとつ恥ずかしい理由は、ミートボールがとっても家庭内の内輪のものだからだと思います。つまり、ほとんどのフィンランド人のお母さん、もしくはおばあちゃんは、独自のレシピでミートボールを作ります。それを私達は“世界一おいしい”と思っています。(私も今だに母方の祖母が作ったミートボールが時々恋しくなります。祖母は、始めにたまねぎをバターでゆっくりと時間をかけて炒めました。いい香りが部屋いっぱいに広がっていたっけ…。)それは何より、自分のお母さんやおばあちゃんの手作りだからこそ、世界一おいしいんです。

また、ミートボールは簡単にお客様にもお出しできるようなパーティーバージョンに変える事もできます。日常用には脂肪を含む牛豚の合挽きを使います。もう少し上品なミートボールにしたい時には、例えば牛の上ひき肉を使う、という風に。フィンランドではヘラジカの肉を使うこともあります。そのときはワイルドミートボールと名前が変わります。

ミートボールのおいしさのもう一つの秘密はソースです。この基本レシピにポートワインやマデイラ酒を加えることにより、より高級感のある味に仕立てる事もできます。誰も見ていない時に、オイスターソースを一さじ入れるのも良いと思います。フレンチマスタードを使うとちょっと味に高級感が出ますよ。そういったパーティー風ソースにはたっぷりと生クリームを入れましょう!


Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

ヘルシンキを拠点とした現地でのガイドツアーや様々なサービスを日本人旅行者に提供する会社、My Suomi(マイスオミ)代表取締役。実はフィンランド屈指のアンティークコレクターでもある。フィンランド・ヘルシンキ在住。

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出来る限りエレガントなテーブルセッティングにしようと、メリと一緒に考えました。 色は黒、白、グレーと決めました。モダンな黒と白のパラティッシに料理を盛りつけ、テーブルクロスはラプアンカンクリのKehraです。

ビルガー・カイピアイネンが1970年代の初めにデザインしたパラティッシの人気には、うなずくものがあります。ただの絵のついたものではなく、何か立体的な感じのあるもの、そして思いっきり遊びの精神があるものを作ろう、という元々のアイデアが、そこにありありと感じられます。

カイピアイネンは同じテーマを何年にもわたり追求し続けたアラビアのアーティストです。彼がアラビアに来たのは1930年代のはじめ、カイ・フランクの時代のずっと前です。カイピアイネンのアート作品には、何千もの陶のビーズを使ったものがありますが、これがパラティッシで描かれているベリーの前身です。あのベリーたちがいまにも飛び出してきそうな感じがするのは多分そのためでしょう。

パラティッシにはもう一つのカイピアイネンにとって大事なテーマ、スミレの花がモチーフになっています。彼は情熱的に、一心にスミレに熱中しました。その結果生まれたのが、お皿自体がスミレの形をしているビオラ皿です。いろいろなサイズで作られたこの<ビオラ皿>は、フィンランドのコレクターの間で大変人気のある一点です。

カイピアイネンはフィンランドのアーティストの中でも有名で、マリメッコの創設者、アルミ・ラティアは彼の親友の一人でした。カイピアイネンは自由奔放なタイプで、やりたいことは何でもやってしまう人。お酒もずいぶん飲みました。

カイピアイネンの作品には、ビーズとスミレのほかに時計盤がたくさんあります。針は3時を指しています。さて、何故でしょう?

彼は一時期、スウェーデンの陶器会社で働いていましたが、その工場長はカイピアイネンの仕事ぶりに不満でいっぱいでした。というのはカイピアイネンはいつでも午後に出勤してきたからです。そして彼は夜明けまで仕事をしたわけですが・・・。

工場長はカイピアイネンに、<時間通りに出勤するように>と注意をしたのですが、カイピアイネンはこれに激怒。間も無く、彼の作るもの全てに時計がついていました。時計、時計、時計…。工場長への復讐です。それ以後、もう誰もこの大芸術家の仕事時間について口を出す人はいなくなったそうです。

2008年1月10日
フィンランド式コーヒーへの招待

“お茶の席”ならぬ“コーヒーの席”

もしあなたがフィンランド滞在中に、どなたかのお宅に“コーヒー”へ招かれる機会がありましたら、是非その招待を受けてみて下さい。それはただ単に“フィルターコーヒーをカップ一杯飲む”と言うことではなく、“強い強い北欧の伝統的な生活の一部に参加する”ことであり、それはとても面白いものなのです。都会の若者達の間では、こういった事がどんどんなくなってきているので、このような伝統的な体験が出来るのは地方の町や、お年寄りのお宅で、もしくは知人のサマーハウスで・・・といったところでしょうか。

この、“お茶の席”ならぬ“コーヒーの席”には、お決まりのやりとりがありますので、前もって知っておかれると良いでしょう。筋書きはおおよそ決まっていて、招待したお宅の奥様は、おもてなしのために準備した事について、たくさんの謙遜をします。例えば、ケーキやクッキーが少なすぎたとか、ピパルカックは真っ黒でクリスマスパイはすっかり口を開いてしまっているしプッラはパサパサしているし・・・といった具合に。

反対に招かれた方々は、この奥様のおもてなしについて、時間の許す限り褒めちぎり、感心し、食べられるだけ食べます。(あなたのプッラはいつもとてもしっとりしているけど、いったいバターはどれくらい入れるの?などなど。)信じていただけるかどうか分かりませんが、このフィンランド人の“コーヒーの席”のやりとりに、私はいつも日本を感じています。

フィンランド式“コーヒーの席”

そして、コーヒーの席にいらっしゃる時には、小さなお花のブーケをご用意下さい。それは招待先のお宅に伺い、初めに奥様に面したときにすぐに渡すのがフィンランド式です。(その際、『こんなに小さな物でお恥ずかしい…』などの謙遜の言葉をお忘れなく。ブーケをもらう奥様は、『なんて素敵なブーケでしょう!こんなお気遣いはよろしいのに…』などと応えます。)

席には自分からは近づかず、招待した側の奥様に勧められてから着くようにしましょう。また、たとえ勧められても、すぐに座ってはいけません。席にはまずお年寄り、そして遠方からいらしている方に先に着いていただくのが順番です。この際、“誰が始めに席に着くか”を上品に喧嘩することが常です。若い人、子供は最後に席に着きます。コーヒーのサービスも同じ順序で、まずおじいさん・おばあさんに、その後に他の人たちに勧められます。

招かれた方々は、「なんて素敵なテーブル・セッティングでしょう!」や「まさか、私たちだけのためにこんなにたくさん準備したわけじゃないでしょう?」といった言葉で感激を表現します。奥様はもちろん大変な苦労でこの準備をしたわけですが、それでも「忙しくて全然特別なものは準備できなかったのよ。」などと言いながら、色とりどりのケーキやクッキーやパイなどを次々とテーブルに運んでくるのです。

コーヒーの席には普通塩味の物が一品あり、その他はいくつもの甘いもの、例えばブルーベリーパイなどのパイやケーキ、クッキー、コルバプースティ(シナモンロール)などのプッラの類、ピパルカック(ジンジャークッキー)などが登場します。(もしテーブルにブルーチーズがあったら、それはピパルカックにのせる物です。フィンランド人はこの味のコンビが大好きなのです。かなり変わった組み合わせですが、機会があれば是非一度試してみて下さい。)

1杯目のコーヒーを飲み干したころには会話が弾んできます。コーヒーの席ではお互いの近況報告や自分の失敗談などを話題とし、最後にはもちろん噂話に花が咲きます。親戚や友人の誰が誰とお付き合いを始めたとか、子供が生まれた、太った、痩せた、職場を変えた、家を買った…などなど。こういった情報はコーヒーの席での会話なしには、きっと得ることが出来ないでしょう。

コーヒーと共に出される塩味の一品

コーヒーと共にお出しする塩味の一品については、フィンランド人女性たちにとって興味深いテーマで度々話題となります。甘いケーキばかり次々と立て続けに食べられないので、塩味のものを一品はテーブルにお出ししたいのです。しかしながらテーブルには小さな取り皿と小さなコーヒースプーンを用意するだけで、フォークやナイフはお出ししません。これだけの道具で食べることの出来る塩味のものは何なのか?この問題には、それぞれの主婦が自分の奥の手を持っているものです。私の友人達も、ほうれん草パイとかチーズパイとか、それぞれ美味しいパイを作る人がたくさんいます。が、私の秘密の武器はグラーヴィロヒ(サーモンの塩漬け)で作ったオープンサンドイッチです。これは作るのがとっても簡単で味は天にも上りそうなくらい美味しいのです。 お客様をご招待する者として、いらしてくださった方々がこの席をどんなに楽しんでくださっているか、コーヒーを2杯、3杯と召し上がり、またもう一つ、とサンドイッチを取る姿を見ることはとても幸せなことです。

最後に、招かれた方々は帰り際、「今日はコーヒーをいただきにうかがったのに、すっかりご馳走になってしまって…」と予想以上のおもてなしを受けた事への感謝の気持ちを伝えます。そして、より礼儀正しくありたい時には、今回招いて頂きました方々に、いつ我が家のコーヒーの席へ来て頂けるかを決めてしまうと良いでしょう。


Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

ヘルシンキを拠点とした現地でのガイドツアーや様々なサービスを日本人旅行者に提供する会社、My Suomi(マイスオミ)代表取締役。実はフィンランド屈指のアンティークコレクターでもある。フィンランド・ヘルシンキ在住。

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このコラムの写真は、今でも頻繁にフィンランドの伝統的なスタイルでコーヒーが振舞われている場所、私の母・インケリと父・パーボの家で撮影しました。

テーブルにかかっているクロスはインケリが自分で織ったもので、糸も自分で紡ぎました。自分で織ったテーブルクロスを使うことは最も伝統的で、最も素晴らしい事ですが、多くの場合はお店から買ってきたクロスを使います。私はマイヤ・イソラが1950年代から60年代にデザインした古いマリメッコの布を使うのが好きです。ラプアン・カンクリ(LAPUAN KANKURIT)のモダンな麻のテーブルクロスも好きです。写真に写っている陶器の花瓶はアラビアの60年代のもので、アニッキ・ホリサーリ(Annikki Hovisaari)のデザインです。

インケリが好んで使うコーヒーカップは、やはりアラビアの60年代の物で、彼女はこのあたりの物をいくつもの食器棚がいっぱいになるほど持っています。インケリに限らずフィンランドのコーヒーの席にはいつでもアラビアやイッタラのカップが登場します。多いのはやはりティーマ(Teema)、そして子供のいる家庭ではムーミンのマグカップです。マリスコーリ(Mariskooli、日本語でマリボウル)が加わるとテーブルが華やかになります。

母は、銀食器に価値を感じる年代で、銀の砂糖入れ、銀のピッチャー、銀の燭台、そして銀のスプーンなどでテーブルセッティングをします。私の年代はあまり銀製品にはこだわりはなく、素材は銀でもステンレスでも陶器でも何でもいいのです。最も大切なのは素材でなく、それがどの有名なフィンランド人デザイナーの作品かということです。

2007年12月7日
ピパルカックの季節

クリスマスの楽しみは“香り”

とうとうまた、今年もこの時期がやってきました!-北フィンランドでは初雪でクロスカントリースキーのすべり具合をテストし、フィンランド全国ではピパルカックを焼いて、クリスマスの準備にかかります。ワクワクする季節です!

私はクリスマスの楽しみは“香り”だと思うのです。そしてフィンランド人にとって、最高の香りはこのピパルカックの香りだと思います。特にグローブとシナモンの香りはたまりません。たとえキッチンに去年粉末にしたスパイスが残っていたとしても、やっぱり私は今年も新しいスパイスを買いなおします。新鮮なスパイスにはそれなりに強くてはっきりとした味があるからです。

我が家の子供たち(息子のヘンリと娘のメリ)もピパルカックを焼くのが大好きです。どっちがボウルに材料を入れるかということでさえ喧嘩のもとになります。兄のヘンリが黒蜜の分量を秤で測りボウルに入れるなら、妹のメリは砂糖を入れる係です。 作りかけの生地は何度も味見をします。「お母さん、何でこれってこんなに美味しいんだろうね!」

こちら、フィンランドでは生地を(内緒で)味見する習慣があるのです。もし、生地の味見を制限しようものなら、「私はスプーン4回分しか食べてないのに、ヘンリは7回食べたよ!」と、大変な騒ぎです。

私が初めてピパルカックを作った日のことを今でもとてもよく覚えています。まだ腰くらいの背丈しかない頃、それはお母さんの作ったものよりも厚ぼったくて、粉っぽくて、なんだか崩れた形だったのですが、そんな事は全然気になりませんでした。何しろ自分で焼いたピパルカックですからね!

この頃の私は、他大勢のフィンランドのおばあちゃん達がするのと同じように、昔ながらの方法でピパルカックを食べたものです。それは、クッキーをちょっとコーヒーで浸して、やわらかくして食べるというものです。最近の食べ方は、やはり近頃の大人たちが食べる方法・・・つまり、癖の強いチーズをのせて食べます。

ピパルカックのいいところ・・・?

ピパルカックのいいところは他にもあって、実はちょっとしたごまかしになるのです。私は、他の多くのフィンランド人の主婦と同じように、やはり毎日長い時間仕事をしています。クリスマスには、手の込んだ伝統料理をつくるのが習慣ですが、私にはその時間もエネルギーも残っていません。そんなわけで、もちろん出来合いを買ってくることになるわけです。そんな中、ピパルカックを焼く事によって、“正しいクリスマスの香り”が家中に充満。来客の際にはこの手作りピパルカックを上手く盛付けて出せば、「おっ!ここではいろいろクリスマスの準備をしているな!」と、カンチガイしてくれるというわけです。 クッキー型ですが、昔はよく花型や星型、ハートマーク等が使われました。最近はムーミン・キャラクターの型や新しいイッタラのアルヴァ・アアルトのサヴォイ・ベースの形をとったクッキー型などが人気です。私達家族はアメリカ合衆国のテキサスに住んでいた事があるので、我が家のピパルカックのいくつかはテキサス州の形をしています。

昔、クリスマス前の数週間は、フィンランド人の主婦にとって大変な時期でした。クリスマス前に家の中は隅々まで大掃除をしなければならないし、タンスや引出しの整理もクリスマス前にしなければならない。料理もしなければなりません。その上家族全員と親戚それぞれ、そして友人にもプレゼントを用意しなければなりません・・・それもできれば手作りが最高です。

クリスマスはフィンランドで最も大きなお祭りですし、間違いなく準備も最も大変なお祭りです。幸いこの伝統は最近は落ち着き始めています。クリスマスの当初の意味は、クリスマス休暇の間、ゆっくりとクリスマスの静寂を楽しむ事、そして教会に行ったり家族と一緒に時間を過ごす事だった訳ですから。

フィンランドで活動する“マルッタ協会”は、女性が伝統的な習慣や料理等を忘れ去ってしまわないように奨励する団体です。この団体が最近出したクリスマスの手引きにこんな文章がありました。「もしあなた方が、クリスマスをタンスの中で過ごすのでしたら、タンスの掃除はクリスマス前にしなさい。もしそうでないなら、タンスの掃除をする必要はありません。」 この手引きに私もしたがうつもりです。タンスの埃にクリスマスの静寂を楽しんでもらいます。


Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

ヘルシンキを拠点とした現地でのガイドツアーや様々なサービスを日本人旅行者に提供する会社、My Suomi(マイスオミ)代表取締役。実はフィンランド屈指のアンティークコレクターでもある。フィンランド・ヘルシンキ在住。

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フィンランドやスウェーデンでの伝統的なお茶の時間というと、ピパルカックなしには考えられません。ピパルカックはクリスマスの食べ物ではありますが、一年中食べられています。お茶に招待したお客様にはコーヒーと一緒にクッキーやケーキが用意されます。(食事をお客様にお出しするケースはあまりありません)

フィンランドやスウェーデン、デンマークにおけるピパルカックのレシピは、ほとんどアートの域に達しています。いくつもの地域に、地域独自のレシピがありますが、フィンランドで最も有名なレシピは“パライネン家のピパルカック”というもので、これはリュディァ・エクロース婦人が1920年に考案したものです。それぞれの主婦が、“どのレシピが最高か”ということを上品に話題にするのが、ピパルカックの食べ方の一部ともいえます。大抵の場合、女性は自分の母親やおばあさんのレシピにこだわります。

ピパルカックは何百年もの北欧の文化や歴史を語るのには、なくてはならないものです。最も古いレシピはデンマークの王室から見つかったもので、1490年代に書かれたものです。スパイスは薬でもあると信じられていたことから、中世にはピパルカックは健康に良いと考えられていました。

ピパルカックには、いろんな言語で異なる名前がついていますが、その名前からどんなスパイスが入っているかがわかります。フィンランドのPiparkakkuとスウェ-デンのPepparkakaはペパーケーキを意味しています。中世にはピパルカックに黒コショウを入れたからです。イギリスのジンジャーブレッドの名は生姜から来ていますが、ピパルカックにもやはり今でも粉末の生姜を使います。

2007年11月5日
ブルーベリーストレス

冷蔵庫はブルーベリーのためにある

フィンランドに訪れた外国からの旅行者の多くは、私達のベリーに感激され、へルシンキのマーケット広場で小さなプラスティックの入れ物に入ったブルーベリーやイチゴ、黒スグリなどを買い求めます。私たちフィンランド人にとってもやはり、大自然で育った汚れのない新鮮なベリーを口一杯に頬張るのは最高の幸せを感じる一瞬です。

しかし、そんな新鮮なベリーも時に現地に暮らす私達にとって大きなストレスを生む原因だったりします。一家の主婦である私は、フィンランドの習慣にのっとり大量のベリーを保存しなければならない大役を引き受けることになるのです。

通常、フィンランド人家庭には冷蔵庫があります。容量は平均で300リットルぐらい。これは他でもない、ベリーのためにあるのです。健康志向の人々は、冬の間も毎朝オートミールにどっさりとベリーをのせて食べようと、こぞって何百リットルものベリーをここに保存します。最悪なのは、この何百リットルものベリーを自分の足で森に行って、全て自分の手で摘まなければならないということ。(もしマーケットからベリーを買ったなんてことが知れたなら、親戚中の笑い者になってしまいます。)

ベリー摘みがのろまである事は、恥ずかしい

72歳の私の父は、ブルーベリー摘みの達人です。彼は手に持って使う小さなブルーベリー摘み用のツールを使い、3日間でゆうに70リットルは摘み取ります。(参考までに、ブルーベリー一粒は直径1㎝以下で、バケツ一杯で10リットル。)母は素手で摘んで、同じ時間で約10リットル。もし私が森に行ったなら、同じ時間の間に摘めるのは1リットル以下…というところでしょう。

私は森を歩くのは大好きだし運動も好きです。でも私はとにかくこのベリー摘みが苦手なのです。そして、ベリー摘みがのろまである事は、フィンランドでは恥ずかしい事なのです。

いつもベリー摘みのあと、「わが家の冷蔵庫はもう一杯で入らないから、そっちにバケツ何杯分か持って行って良い?あなたの子供達にもちょっと食べさせてあげてよ。」と、私の自己嫌悪を良く知っている両親から電話が入ります。

皆さん、この悔しさがわかりますか?でも、受け取る以外に私は何ができるでしょう…。で、私は額に汗してブルーベリーケーキを焼くのです…。これはもちろん私のお得意分野です。


Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

ヘルシンキを拠点とした現地でのガイドツアーや様々なサービスを日本人旅行者に提供する会社、My Suomi(マイスオミ)代表取締役。実はフィンランド屈指のアンティークコレクターでもある。フィンランド・ヘルシンキ在住。

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材料も手順も少しくらい適当になってしまっても大丈夫ですよ。私の知っているレシピの中で一番素朴なのがこのブルーベリーケーキなんです。だからどんな人が焼いてもちゃんとその人の味が出て、おいしくなるんです。 私のお気に入りはこのレシピで小さめの耐熱皿2皿に分けて焼くことです。一皿は家族と一緒に食べて、もう一皿は同僚と一緒に食べることもできますし、お友達にプレゼントするにも小さめのサイズの方が喜ばれます。もちろん残った一皿を自分で食べる楽しみも残りますしね。

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