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2008年11月12日
トーベ・ヤンソンのグルーヴハル島

PHOTO:原田 智香子

クルーヴハル島にあるトーべ・ヤンソンのサマーコテージに一歩足を踏み入れた時、私は一瞬にしてすべてがわかったような気持ちになりました。

大きな古い書き物机の上にあるあの大きな白木のオイルランプ・・・ムーミンパパはいつもあれと同じランプの下で覚書きをしていました。

あそこにある時代物の鉄製の調理用ストーブはどう見てもムーミンママのストーブです。ここでムーミンママはパンケーキを焼いたんです。食器棚には100年以上も古いアラビアのFasaaniシリーズのお皿があります。つまり、これこそムーミンママが彼女のおばあさんから受け継いだお皿です。

本棚に並ぶ本を見ていくと、なるほどこれがムーミン作家の参考文献図書館です。世界地図、地名辞典、魚類、鳥類、植物辞典、軟体動物辞典は何冊もあります。それから日本の貝類についての本(The Shells of Japan, Tadashige Habe, 1971)もありました。ニョロニョロの発明者は海底にうごめく不思議な生き物たちがどんな物だったかをきちんと知っていたんですね。

トーべ・ヤンソンと彼女のパートナーでグラフィックデザイナーのトゥーリッキ・ピエティラはクルーヴハル島とこの美しいコテージには1992年を最後に、それ以降もう訪れることはありませんでした。彼らは個人的な持ち物のほとんどをコテージにそのまま残して立ち去りました。その物たちは今だにそのまま、そこに置かれています。毛糸の靴下、窓辺を飾る岩場から集めた美しい小石の数々、サングラス、昔使われていた油を含んだ布から作られた漁師のための雨合羽、彼女の親戚が作った古い漁のための網など、そういったものがそこここにあります。

薬箱には彼らの常備薬が並んでいます。ムーミンママも使っていた薬です。調味料棚には彼らの調味料入れが並んでいます。そんな小瓶にはトーべは美しく古びた感じの手書きでラベルをつけています。

多分私は想像を逞しくしすぎているのでしょう。ムーミンのお話のほとんどはトーべとトゥーリッキがこのコテージを建てた年、1965年以前にすでに書かれています。でも、少なくともこのオイルランプはムーミンハウスのランプと全く同じです!私の思い込みを別にしても、ここにある物はとてもロマンチックで、少なくとも私がまだヤンソンのお話の中から見つけていない凄い物でいっぱいです。たとえばこの天井の丸太。これは大きな古いヨットのマストだったものに間違いありません。そこにはまだマストのリングやフックがついています。この船はどの海を渡ってきたのでしょうか?

嵐に耐えるクルーヴハル島のコテージ

このコテージを歩き回りそこにあるいろいろなものについてあれこれと考えているうちに、この勇気あるまったく普通でない女性に対して大きな愛情と憧れの気持ちがあふれてきました。彼女はこのコテージに暮らし、世界中が評価する芸術を生み出したのです。

ここに一年の半分を暮らすことは決して簡単なことではなかったはずです。全部で25平米のコテージとコケと自然の花が咲く岩場で、かれらは28年間暮らしたのです。クルーヴハル島の向こうには何ひとつ見えない外洋が広がります。バルト海の嵐は怒るように波も高く、その波は二つに分かれる島の低いほうを越えていきます。

たとえ温度計が16℃を示していても、風が強くなると島では寒くなります。ダウンコートを着て風の強いとき岩場に座ってみましたが決して大げさではありませんでした。

この島へはなかなか行くことは出来ません。島には船着場さえないのです。船は島の南西にある小さな石の出っ張りに付けなければなりません。つまり、南西の風が強いときには船が岩場にたたきつけられる恐れがあり、船が壊れるかもしくは自分が怪我を負うことなく上陸することは出来ません。

船が付け易いような気候の時であってもここまでの船の移動は決して簡単ではありません。ここは常に波の高い海域で、船が飛び跳ねる度にそこに乗る人々のお尻を痛いほどたたきつけます。

トーべ・ヤンソンはどうやら怖いものなしの人だったようです。彼女は、嵐がとても強くても島へ行きたい時には海上保安庁の船でクルーヴハル島の近くまで行きました。船が充分に島に近づくとトーべは服を着たまま海に飛び込み、島まで泳いだのです。そのとき彼女はけして若かったわけではありません。だってトーベが生まれたのは1914年。つまりこのコテージの建築が始められたのは彼女が50歳の時なのですから。

でもコテージにはサウナがありますし、古い鉄のストーブは素晴らしくすぐにコテージを暖めます。ずぶ濡れの水泳選手はおそらくとても早く温まることが出来たのでしょう。思うに彼女はまずサウナに入り、そして熱々のオートミールをつくり、温かいお茶を飲み、そしてベットに潜り込んだに違いありません。少なくとも私ならそうするでしょう・・・

クルーヴハル島には2泊3日滞在しました。そのうち丸々一昼夜はたった一人で過ごす機会に恵まれました。それが1週間であったなら、出来ることなら1カ月だったら・・・とどんなに願ったことでしょう。トーべのベットでぐっすりと眠りました。

島には電気はありません。パソコンをしたりテレビを見ることも出来ません。ここでは自分自身、自分の心配、自分の疲労、自分の恐れと向き会わなければならないのです。薄暗くなった夜、嵐の中、濡れた岩場を歩き外にあるトイレまで行く時には神経を落ち着かせなければなりません。何かが飛び出した!大きなかえるです。

クルーヴハル島の魔術はとても簡単に獲りついてしまいます。娘のメリ(8歳)がこのコテージに入り叫びました。「本当にトーべ・ヤンソンがこの椅子に座ったの?私がここに居るって、本当にほんとう?」

この島には他に2人の日本人のお客様とマイスオミチームのミドリが訪れました。皆もこの島とコテージの美しさに魅了されました。

小さなコテージはデザインでいっぱい

トーべとトゥーリッキは古く美しいものを大切にしましたがモダンデザインも評価しました。コテージで使われるコーヒーカップの一つはアラビアのウッラ・プロコペがデザインしたヴァレンシア。その大きいサイズの方があります。

トゥーリッキ・ピエティラとマイヤ・イソラが知り合ったのは1950年代のパリで、二人ともパリで芸術を学んでいた頃のことです。コテージの窓を飾るのは、マイヤ・イソラが1963年にマリメッコにデザインしたアナナス(パイナップル)のカーテンです。南と北の窓は黄色で東と西の窓はオレンジのものが掛かっています。

トーべとトゥーリッキが古いアンティックと1960年代のモダンデザインを如何にさりげなく一緒に使っているかに感心しました。2人とも画家です。彼らはこれからの世代が彼らのスタジオを見ることが出来るようにと意図的に持ち物をクルーヴハル島に置いて行ったのです。

たくさんのトーべ・ヤンソンのファンの方々はきっとクルーヴハル島に行って見たいことでしょう。しかしながら島はけして多くの人を送り込むことの出来ない自然保護地区に含まれます。それにこの小さなコテージは大きなグループの訪問客に耐えることは出来ないでしょう。


Text & Recipe : Hanna Jamsa (ハンナ・ヤムサ)

ヘルシンキを拠点とした現地でのガイドツアーや様々なサービスを日本人旅行者に提供する会社、My Suomi(マイスオミ)代表取締役。実はフィンランド屈指のアンティークコレクターでもある。フィンランド・ヘルシンキ在住。

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